虎ハンター小林邦昭がお亡くなりになりました。
9月9日。膵臓癌(大腸→肝臓→肺)。68歳没。
16歳で新日本プロレス入り。藤原喜明(入門時23歳)よりも1週間、長州力(入門時22歳)よりも1年先輩。
トレードマークは真っ赤なパンタロン。得意技はフィシャーマンズ・スープレックス(網打ち式原爆固め)。
入場曲は複数ありますが、やはり代表は「THE ROOM(BRAINWASH)PART ONE」(リック・ウェイクマンのアルバム「1984」に収録)。
小林邦昭を一気にスターダムに押し上げたのは何と言っても初代タイガーマスクとの攻防戦(馬場に猪木、藤波に長州。噛んで噛まれて好敵手)。
その中で小林が手にした特急券「掟破りのマスク剥ぎ」。
👆昭和57年11月4日/蔵前国技館。NWA・WWF Jr.ヘビー級ダブルタイトルマッチより(13分40秒反則勝ちでタイガーマスクがタイトル防衛)。
因縁に因縁を重ねて迎えたのが、昭和58年1月6日/後楽園ホールに於けるNWA世界Jr.ヘビー級タイトルマッチ。
小林はパンタロンではなく白と黒のツートンカラーのショートタイツ。
マスク剥ぎを封印した小林の戦い模様は正にストロングスタイル。
後に佐山の(というかUWFの)代表技になる「チキンウィングフェイスロック」をタイガーに。掛けられたショート・アーム・シザースを強引に持ち上げる力業も。
この体制👇で張り手の応酬とか二人ともちょっと頭オカシイです。
タイガーがプランチャを見舞えば小林もプランチャで返す。見事な様式美!
勝負時と見て繰り出したフィッシャーマンは無念のカウント2。
結果は23分10秒リングアウト勝ちでタイガーマスクがタイトル防衛(山本小鉄は使命を果たしたと思います)。
実況の保坂氏(古館はサイドリポーター)曰く「1983年、いきなり年間最高試合賞を与えてもいいような勝負」。
最後の場外乱闘がアナウンス席からはやや死角になっていたようで、保坂氏は技も選手も間違える(タイガーがジャーマンを仕掛けたのですが、これを小林がバックドロップと実況)という痛恨のミスを犯していました(更にジャーマンと訂正したものの、小林が仕掛けてタイガーが重心移動でバランス崩させた、とミスの追い打ち)が、試合そのものは本当に長時間息継ぎなしの名勝負でした。
長きに渡る闘病生活、お疲れ様でございました。ゆっくりお休みください。
★小林邦昭が先鋒となった蔵前5対5血戦はこちら。
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★本日9月12日は「マラソンの日」
紀元前450年のこの日、ペルシャの大軍のアテネ急襲をアテネの名将ミルティアデスが奇策でこれを撃退した際、フェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走りついてアテネの勝利を告げ、そのまま絶命したと言われている…んだそうですが嘘くせー! どこに記録としての証憑があるんだ!?(あと奇策って何だ!?)
前回(2021年)は”マラソン関連作”として「マイ・ウェイ」と「長距離ランナーの孤独」という真面目な2本をご紹介しましたが、今年はマラソン大会に関連したアニメをふたつほど。
★本日のTV放送【13:00~テレビ東京/午後のロードショー】