出遅れてしまいましたが、プロレスラー、レフェリー、そして解説者のマイティ井上がお亡くなりになりました。
11月27日、兄に付き添われて病院へ通院する最中に意識を失って倒れ救急搬送。同日9時59分、神戸市内の病院にて死去。心室細動(不整脈の一種。心臓の心室が小刻みに震えて全身に血液を送ることができない状態)。75歳没。
前月には井上がIWA世界ヘビー級王座獲得から50年目を迎えることを記念して、東京・水道橋で開催された「マイティ井上プレミアム・トーク・ライブ」にも登場していたというのに。
◆マイティ井上
- 1967年、国際プロレスにてデビュー。
- 1974年、スーパースター・ビリー・グラハムを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得。
- 1981年、国際プロレス崩壊。全日本に移籍。後、Jr.ヘビーに転向。
- 1984年、チャボ・ゲレロを破って第14代NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王者となる(2月16日大阪府立体育館)。
私が専らマイティ井上を生で観ていたのは全日本移籍後なのですが、井上がNWAインタジュニアを奪取した1984年は本当に凄い年でした。
8月には田園コロシアムで二代目タイガーマスクがデビュー。
この興行をプロモートした新日本興行とリキプロダクションが合併してジャパンプロレス設立。全日本と業務提携。長州力率いる維新軍が全日本マットへ。
引き抜きの手を海外まで伸ばした全日本は、初代タイガーと激闘を繰り広げたダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス(ブリティッシュ・ブルドックス)をゲット。
年末恒例の最強タッグ決定リーグ戦には馬場のミステリアス・パートナーとしてラッシャー木村が参戦(4月までは第1次UWFにいたのに!)するというお腹一杯胸一杯状態。
今、偶然手元にこの1984世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦(12月12日横浜文化体育館)のパンフレットが!(いやホント偶然)。
この日、組まれたカードが半端ありません。
いきなり「川田利明・渕正信VSブリティッシュ・ブルドッグス」(本当はこの前に20分1本勝負の前座カードが3つあり、3試合目は「小林邦昭・寺西勇VS剛竜馬・菅原伸義」!)。
続いて「大熊・小鹿・石川敬士VS長州・浜口・谷津」(維新軍襲来!)。
井上はタイガーマスクと組んでピラタ・モルガン&エヒプシオ組と(本場のルチャ・リブレ!)
セミは公式戦で「ファンクスVSハーリー・レイス&ニック・ボックウィンクル」(絵に描いたようなアメリカン・プロレス!)
そしてメインは「鶴田・天龍VSスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ」。
どうですかお客さん。
パンフレットには「現NWA認定インター・ジュニア・ヘビー級選手権者」としてベルトを肩にかけた井上の雄姿が掲載されています。
恐らくこの年の初め、メキシコ遠征前の(極秘帰国後はタイガーマスクになる)三沢光晴とマイティ井上のシングルマッチが実現しています。
ベテラン井上の胸を借りる形になった若手のホープ、三沢。
三沢がセントーンを見舞えば「ちょこざいな!」とばかりに井上がサンセット・フリップでお返し。
最後はエプロンで放った井上のブレーンバスターを切り返した三沢のローリングクラッチ・ホールドを更に同じ技で切り返した井上の勝利(11分17秒)。
試合後は途中三沢の痛めた腹部(三沢のフライングボディアタックを膝で受けとめた)を気遣った上で健闘を称える気配りを見せておりました。
そら慕われるよなあ…。
この後、井上はチャボ・ゲレロを破ってチャンピオンに、三沢はメキシコから呼び戻されてタイガーマスクに。
外からはUWFを離脱した国際プロレス軍団と新日本を離脱した維新軍が全日本へ。
もう夢のオールスター戦です。
この濁流のような時代の中できっちり自分の仕事をこなしていたマイティさんはやはりプロフェッショナルだったのだと思います。
お疲れ様でした。謹んで哀悼を。
★ご参考~もうひとつの1984年
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