デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

相撲と八百長とプロレスとケーフェイに関する浅~い考察

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相撲界が騒がしいですね。


八百長疑惑・・・ねえ。八百長って悪い事でしたっけ? 

そもそも相撲って「大地を踏みしめて五穀豊穣を祈る」神事ですよね。神事に八百長って無粋にも程があります。

大体、客から金とって「興行」している段階で、真剣も糞もないでしょう。
(初切を八百長とは言わないっしょ)

昔はプロレスアァンも純真でしたから、「猪木が本物」だの「UWFだけが真剣」だのと戯言ほざいてましたが、いつしか「ファン」は「プロレス者」という成熟したすれっからしになりました。

彼ら(俺ら?)をすれっからしにしたきっかけの1つは間違いなくコレ↓でしょう。

ケーフェイ
ナユタ出版会。1985年10月25日初版発行。佐山聡著)

 

プロレス界に存在する暗黙の了解を当事者が激白する「禁断の書」。

今、読み返すと佐山の主張も若いですね。私も今なら、実力もお約束も清濁呑み込んだ上で成り立っているのがプロレスであり醍醐味なんだ、と言い切れます。

プロレス会場でのブーイングは「つまんねえシナリオ書きやがって!」か「折角のシナリオを無駄にしやがって!」のどっちかです(え、違う?)。

そういう「お約束」の中で本気(セメント)が垣間見える時の緊張感がまた。

角界(と神の威を借りたの如く正義を振りかざすマスコミ)もこの機会に少し大人になりましょうよ。