ちょいと海綿体でも充血させちゃろか、などという動機でこの映画を観たら突発的に死にたくなるかもしれません。
裸一杯、絡みもそこそこ。でも、そこにあるのは抜き身のナイフ。
無視するか、手にとって誰かを傷つけるか、それとも自分を刺すか・・・恐るべし若松孝二。
「胎児が密猟する時」
(1966年/若松孝二監督)
子作り能力が無く、女房に逃げられた男・丸木戸(山谷初男)が女房そっくりの女(志摩みはる)を拉致・監禁して理想の女房として飼育する。
今となっては手垢のついたネタですが、根底に「生れ落ちる絶望と恐怖」が流れているのがいかにも若松。
女に刺され、血の羊水の中で胎児に回帰する丸木戸(←いい名前だ)。続く、
「犯された白衣」
(1967年/若松孝二監督)
になると、更に過激。時間短縮テーマ濃縮、そして詩的。
看護婦寮・白百合別室に入り込んだ男(唐十郎。役名はなんと“美少年”)が、次々に看護婦を射殺。ただひとりを残して皆殺しに。屍に囲まれて見つめ合う二人。
『何故そんなに血を流すの?』
『君を飾るためさ』
『あたしを飾るのにどうして他人の血を流すの? どうしてあんた自身の血を流さないの? (男の指を噛む) あんたの血よ。あたしを飾るならあんたのたったそれだけの血であたしはいいのに』
モノクロが鮮烈なカラーに。血の海の中で胎児のように丸くなる“美少年”。そこに突っ込んでくる機動警察。
ストップ・モーションに被るデモ行進の声、演説、テレビCM・・。
にっかつロマン・ポルノ復活のニュースを見たので、何かレビューしようかと思ったのですが、若松観たらそんな気持ち消し飛びました。何でしょう、この静謐な破壊力は。
唐(しつこいようですが“美少年”)の持っているオートマチック拳銃が、一発撃つ度に手動でバレル・スライドするという「ブロー・バックって何?」な仕様になっていたのはご愛嬌。