「只今より、スターウォーズを上映いたします」
1977年、夏。ぎこちない館内アナウンスが流れた時、横浜東宝は万雷の拍手と歓声に包まれました。
私の友人は20世紀FOXのファンファーレが鳴り響いた段階で感極まって泣いておりました(元気か、池さん)。
そして21世紀まで続いた狂騒がようやく幕・・感慨は・・特にありません。
エピ1.2よりは幾分マシになりましたが、やっぱりこの程度か、が正直な所。
ミッシング・リンクが繋がったって喜んでいる人多いですが、そりゃ後出しジャンケンで繋がるように作っているんだから、繋がって当然でしょう。
エピ1~3って、転がさなきゃいけないお話が与件としてあって、そのためにはこの人はこう行動しなければならないという規制があって、役割分担としてキャラが割り振られているだけのように見えるんですよ。
エピ4~6に出てきた人たちって、皆キャラの性格が説明できますが(ハン・ソロはこんな奴で、ルークはこんな奴みたいな)、1~3の人って行動でしか説明できないでしょ(クワイ・ガン・ジンはこんな事した奴で、オビ・ワンはこんな事した奴)。
相変わらずルーカスの演出にはタメがない(演出していたのはジョン・ウィリアムスでしたね)。
ジェダイ掃討作戦はそこそこ盛り上がりますし、アナキンも暗黒面に落ちて以降はキャラが立ってきますが、それでも“仏作って魂入れず”の感は否めません。
エピ4が盛り上がったのは、都会に出る事も叶わず、田舎町で家業を継ぐしかなかったルーカスの“どん詰まり感”がルークの心情に反映されていたからだと思います。
結局、感情を持っていたのは“野心”を抱えたパルパティーン最高議長だけなので、後半はイケイケパルパティーンモード(ヤケクソ?)。
まあ、アナキンにも嫉妬や怒りや中学生レベルの恋愛感情はありましたが、ガキのダダになんか興味ありませんしね。
元老院だ、評議会だ、共和国だ、民主主義だってのも話が“血沸き肉踊る”冒険譚にシフトしない要因でしょうか。
やはり、スターウォーズはエピ4~6だけあればいいです(勿論、いらん手直しした特別編じゃなくて劇場公開版ね)。
★前作はこちら。