デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

過剰なる饒舌。 サクリファイス

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タルコフスキーに関して造詣が深く、キリスト教に対する正しい理解を持ち合わせていれば、あるいはポンと膝を打つ映画なのかもしれません。が・・、

すまん、俺には無理。

サクリファイス

(1986年/アンドレイ・タルコフスキー監督)


タルコフスキーの遺作です。

終戦争の勃発を知った無神論者の老俳優は、神と対峙し、世界を救う為に自らを犠牲とするサクリファイスを実行する・・

・・と書くとなんとも深遠(いや実際、深遠なのですが)な感じがいたしますが。

まず最終戦争勃発をテレビが知らせるまでに50分以上。

それまで老俳優の独白が延々続きます。

「ストーカー」のようなハッタリ上等タイプや、「鏡」のような映像感性ゴリ押しタイプは好きなのですが、今回は序盤で疲労困憊。

で、最終戦争勃発後に話が動き出すかと言うと、これが実にのったりもっさり。

そもそも無神論者だった爺さんがいきなり神と対話(一方的にね)し始め、世界を救うために全てを捧げるだの子供も捧げるとか言い出すのが理解不能(気が触れた、が正解なんでしょうね)。

で、何をするのかと思えば自宅に火を放つだけ。

郵便屋の「あなたが使用人のマリアと寝ればすべて解決する」という理屈も何がなにやら。

聞いた事に答えず、はぐらかすように思わせぶりな(さも、さあ深読みしろ、と言わんばかりの)対話が大嫌いなので、この二人のやりとりはイライラしっぱなし。

本作が「生きものの記録」への返歌になっているのは分かります。

海辺に植えた生命の樹を「日本の生け花のようだ」と言ってみたり、安っぽいJVCのアンプから尺八を流してみたり、過剰なまでの日本リスペクトが迸っています。

作品を息子に捧げている事からも、タルコフスキーの思考が内へ内へと向かっていることが伺えます(最早、プライベート・フィルムだな)。

ラストで都合よくやってくる救急車(日本の都市伝説で言えば“黄色い救急車”)は一体誰が呼んだんだ?(景気良く火柱が立っているのに消防車は来ないし)。

この救急車に乗る乗らないのドタバタはほとんどコント。

偏差値貧乏な私にとってタルコフスキーはまだまだ遠い所の人のようです。

※参考:「惑星ソラリス」→2009年4月3日
    「タルコフスキーの心象念写。 鏡」→2009年11月23日
    「SF的状況を設定だけで突破する。ストーカー」
     →2010年6月15日