「分かるよ。俺もあの時、折ってもらえなかった…」
格闘経験ゼロの役者と、演技0点の格闘家。悩ましい選択ですが、本作に限っては後者で正解。
「餓狼伝」(1995年/佐々木正人監督)
昨日ご紹介した夢枕獏のライフワーク(のひとつ)「餓狼伝」冒頭部の映画化です。
空手家・丹波文七に極真会館の八巻健志(現・健弐。←百人組手達成・ウェイト制大会優勝・オープントーナメント全日本空手道選手権大会優勝・全世界選手権優勝と言う極真初のグランドスラム達成者)。
対するプロレスラー・梶原年男にプロフェッショナル・レスリング藤原組(当時)の石川雄規(現バトラーツ社長。←カール・ゴッチ、藤原喜明双方から関節技を伝授)。
東洋プロレスの道場に「道場破り」を敢行した放浪の空手家・丹波文七。
「一番強い奴とやらせろ」
「強い奴は巡業でここにはいない。残っているのは皆前座の若手だ」
応えたのは留守を預かる鬼コーチ川辺(藤原喜明)。
川辺が指名したのは、若手前座レスラー・梶原年男。
リング下で川辺が梶原に出した小さなサイン。人差し指を伸ばしたピストルの形。プロレス者にはお馴染みの“シューティング・サイン”。
セメント、ガチンコで行け、もっとはっきり言えば“折れ”の合図。
梶原は丹波の蹴り・突きをほぼノーガードで受けながら、関節技で丹波を翻弄。しかし、梶原は丹波の腕を、脚を折ることができなかった。
「馬鹿野郎!何故折らん!殺したって構わないんだ、リングの上ならな!」
結局、丹波は練習台のように関節を極められて戦闘不能に。全てはここから始まりました。
川辺のモデルは山本小鉄だと思われますが、格闘家と役者の境界を自由に行き来できる藤原は正に適役。
原作1巻が発表されたのは1985年。映画化までの10年という歳月が、93年から始まったK-1というムーヴメントが微妙に物語のリアリティに影響を与えています。
本作がシリーズ化されなかった理由はそこいらへんの難しさにあったのかもしれません。