アクション・メインだから背景はどうでもいいだろって開き直りは潔いですが、ここまで手を抜く事ぁねえじゃねえか。
「ウルトラヴァイオレット」(2006年/カート・ウィマー監督)
“ここは理解を超えた世界”っていきなり言い訳かよ。近未来の世界観を画として魅せる気はおろか、説明する気も無いってのは表現者としてどうよ。
21世紀に蔓延したウィルスによって隔離された感染者“ファージ”と、ファージ根絶を画策する政府というウルトラアバウトな構図だけは語られますが、これやっていいのはアクション・アドベンチャー・ゲームだけ。
はい、説明終り、ゲーム・スタート!って奴ですね。
で、肝心のアクションが素晴らしいかと言うと、これが微妙。
カート・ウィマーと言えば、“ガン=カタ”を生んだ功労者。当然、その手のスタイリッシュ・アクションを期待しますし、作るほうにもその自覚はあったようなのですが…。
くるっと1回転したら円周状に取り囲んでいた敵が放射線状にぱったり倒れるなんて演出が許されるのはルパン三世だけ(100歩譲っても「キューティー・ハニー」まで)。
どうも並んだ人間が順繰りに同じ動作を繰り返す事(端から一人ずつ刀を鞘に納めたり、倒れたり)が“様式美”だと勘違いしているようです。
重力を自由に操って、ビルの屋上に向かって“落下”するとか、ビルの壁面をバイクで疾走するとかの絵柄は面白かったのですが、その時代に何故その戦い方なのか、という格闘技法の必然性みたいなものがまるで練られていないので、全くのめり込めませんでした。
底の浅い世界観と中途半端なアクションという意味で「イーオン・フラックス」と同じ箱に入ります。
歯医者みたいな検査椅子はちょっと間抜け(写真2番目)。プリント型の使い捨て電話(の自販機)はちょっと面白かったです(写真下)。
アタッシュ・ケースに格納された少年はまんま“素体”でしたね。
※参考:「ヌンチャク以来の衝撃、ガン・カタ! リベリオン~反逆者」
→2008年7月9日
「か、空っぽ…。 イーオン・フラックス」→2010年1月3日
「ウルトラヴァイオレット」(2006年/カート・ウィマー監督)
“ここは理解を超えた世界”っていきなり言い訳かよ。近未来の世界観を画として魅せる気はおろか、説明する気も無いってのは表現者としてどうよ。
21世紀に蔓延したウィルスによって隔離された感染者“ファージ”と、ファージ根絶を画策する政府というウルトラアバウトな構図だけは語られますが、これやっていいのはアクション・アドベンチャー・ゲームだけ。
はい、説明終り、ゲーム・スタート!って奴ですね。
で、肝心のアクションが素晴らしいかと言うと、これが微妙。
カート・ウィマーと言えば、“ガン=カタ”を生んだ功労者。当然、その手のスタイリッシュ・アクションを期待しますし、作るほうにもその自覚はあったようなのですが…。
くるっと1回転したら円周状に取り囲んでいた敵が放射線状にぱったり倒れるなんて演出が許されるのはルパン三世だけ(100歩譲っても「キューティー・ハニー」まで)。
どうも並んだ人間が順繰りに同じ動作を繰り返す事(端から一人ずつ刀を鞘に納めたり、倒れたり)が“様式美”だと勘違いしているようです。
重力を自由に操って、ビルの屋上に向かって“落下”するとか、ビルの壁面をバイクで疾走するとかの絵柄は面白かったのですが、その時代に何故その戦い方なのか、という格闘技法の必然性みたいなものがまるで練られていないので、全くのめり込めませんでした。
底の浅い世界観と中途半端なアクションという意味で「イーオン・フラックス」と同じ箱に入ります。
歯医者みたいな検査椅子はちょっと間抜け(写真2番目)。プリント型の使い捨て電話(の自販機)はちょっと面白かったです(写真下)。
アタッシュ・ケースに格納された少年はまんま“素体”でしたね。
※参考:「ヌンチャク以来の衝撃、ガン・カタ! リベリオン~反逆者」
→2008年7月9日
「か、空っぽ…。 イーオン・フラックス」→2010年1月3日