デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

過ちを犯す権利。 大都会 闘いの日々「前科者」「私生活」

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『主人がいくら懸命に真面目にやろうと努力しても、世間は前科者に本当に冷たくて、それだけでまともな職にも就けず、何かがおこるとすぐ疑られ、また職を変えねばならず、そうやって6年間一生懸命やって、それでも駄目で何かをしたのなら、それは私もう責められない』

『人って間違いを犯す権利みたいなものがあるんじゃないでしょうか。それとも間違いを犯した人間は必ず罰を受けなければならないんでしょうか』

このシリーズの持つ索漠とした焦燥感・敗北感を端的に表した双生児のようなエピソードだと思います。

「大都会 闘いの日々/第15話・前科者」(1976年4月13日放送)

「同/第16話・私生活」(1976年4月20日放送)

脚本は「前科者」が倉本聰、「私生活」が斎藤憐、監督はいずれも村川透です。

肉体と神経をすり減らしながら、更正の道を歩む前科者(室田日出男)。

信じた黒岩(渡哲也)の得た報酬は?

拳銃偽造団摘発捜査を隠蔽するため(マスコミの目をそらすため)の撒き餌として殺人事件の容疑者に祭り上げられた女教師(いしだあゆみ)。

マスコミに糾弾されながら、彼女が隠そうとした私生活とは?

シリーズを支える両輪と言われた倉本&斎藤の突きつけた匕首のような脚本です。

『あなたがたはいつも正しいんですね。私にはその正しさが耐えられません』

『疲れるんです。ただもう、何もかも、疲れ果てて…』

『御免なさい。あなた、刑事さんだったわね』