『核ミサイルだ…。30分後には敵国に届く』
『敵のも…だろ?』
カンサスシティ。ミサイル発射基地のある街。普段はそんなこと意識もしない田舎町。
死の灰が降り注ぐまでは。
「ザ・デイ・アフター」
(1983年/ニコラス・メイヤー監督)
“生ぬるい”という批判もありますが、83年当時にテレビでこれだけの描写をしたというのは賞賛に値すると思います。
前半の市井の人々の生活描写がやや整理不足でタルいですが、本作の優れている点は徹頭徹尾、市井の視線を貫いている所でしょう。
軍上層部や政治家の事情を一切排除して、新聞、テレビ、ラジオという一般人が知りえる情報だけで“何かが起きている”という不安を煽ります。
軍関係者も登場はしますが、末端も末端。何の情報も与えられず右往左往するだけ。
そして唐突に訪れる“The Day”。マニュアル通りの手続きでポッドを飛び立つミサイル群。嗚呼、やっちまった…。
立ち上がるキノコ雲。レントゲンのように一瞬白骨が映り、跡形もなく消え去る人々。
資料映像、記録映像もふんだんに流用しているので、目新しさには乏しいですが、それでも人間が備長炭になっているアメリカ映画なんてちょっと思いつきません。
そして後半の“After”。
放射能の影響を考えたら確かに甘いかもしれませんが、「アトミック・カフェ」を作った民族が、TVの放送コードに縛られながら作った事を思えば快挙でしょう。
日本では既に同一テーマで“The Day”を扱った「世界大戦争」(1961年)があり、状況は違いますが“After”を描いた「復活の日」があります。
アメリカにも「渚にて」という傑作がありますが、あれは詩的なSFで、ちょっと入る箱が違います。
本作の様な描写は、お茶の間でまったりしているアメリカ人にとっては衝撃以外の何者でもなかったのでは…。
案外、今の日本でも衝撃(もしくはリアル)かもしれませんが…。
※参考:「合衆国最後の日」→2008年4月30日
「これが本物のパンデミック。 復活の日」
→2009年1月28日
「静かな静かなデストピア。 渚にて」→2009年8月16日