老いさらばえた父親が歩く。先を歩く息子を追って老醜が歩く。
杖をつき一歩一歩踏みしめて歩く様をハイスピードで捉えて、蒸気機関車のSEを被せる。
好き放題に生きて、家族にさんざっぱら迷惑をかけて、もう燃えカスも残っていないのに、まだもう一旗上げてやるという顔つきで歩く。
そして駅でようやく息子に追いついた父の顔は子供の様な笑顔。嗚呼、巧いなあ。
「江分利満氏の優雅な生活」(1963年/岡本喜八監督)
飲んだくれてはクダを巻き、「面白くない」と嘆く、サントリー宣伝部社員・江分利満(小林桂樹)。
そのボヤキっぷり、嘆きっぷりの良さを見込んだ女性雑誌編集員が、江分利に小説の執筆を依頼。
俺が小説? 何を書く? そうだ、いっその事、俺の生き様を、スマートじゃない、器用じゃない、ただ一生懸命なだけのサラリーマンの実態を書いてみよう。
直木賞を獲った山口瞳の同名小説が原作ですが、江分利のキャラは山口本人に大きく歩み寄っています。恐らくはそこに岡本監督自身も投影されているでしょうから、メタ・フィクションな多層構造映画に。
放蕩三昧の親父(東野英治郎)と静かな母親(英百合子)、時々発作を起こす妻(新珠三千代)と喘息持ちの息子。
小林の軽妙な語りに、アニメや特撮(!)まで加勢して、日本の戦前・戦中・戦後の暮らしが小気味良く活写されていきます。
小林も東野も素ん晴らしいですが、妻・新珠がいい。凄くいい。
ただ単に“好み”というだけでなく、おっとり呑気なキャラは和みます。癒し系。
お話は本来なら、直木賞を受賞した時点で幕にしてもいいはずですが、ここを起点にして江分利のボヤキにエンジンがかかります。
吐露し続ける“戦中派のボヤキ”は、全体のバランスを確実に破壊。それでも監督は、江分利は止めません。
聞かされているサントリー社員(=観客)の顔に「勘弁してくれよ、もう」と浮き彫りになっているのにやめられない。停まらない(結果、1週間で打ち切り)。
ラストカットはサントリー屋上の天真爛漫な若者社員とそれを遠目に眺める江分利。そして連打されるパイルドライバー(技じゃないぞ)。
ひとつの時代の終焉。本格的な高度経済成長が始まる・・。