デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

幻想の思春期を追体験させる魔性のアニメ。 耳をすませば

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こ、ここまで違うのか!?

筆遣いさえ読み取れる高解像度。リマスターと言うより最早リテイク

透明度が上がって何もかもが“見えてしまう”事によって、空気の密度が拡散して、アニメが本来持っているマジックが消えてしまうのではないかと心配になるほどです。

止め絵の背景など完全に書割で、本来ぼかしておきたかったであろう部分まで白日に晒される…Blu-rayの功罪を実感させられるソフトです。

耳をすませば[北米版Blu-ray]」
(1995年/近藤喜文監督)

国内版は高い上にジャケットが最悪(ここまでコレクターの所有意欲を刺激しないデザインも珍しい。一種の才能)なので、北米版を入手(価格は国内版定価の約1/3。アマゾン割引価格と比べても半額)。

VHSから一足飛びにBDに来たせいか、画質格差がありすぎて比べようがありません(笑)。完全に別物です。

全カット発見の嵐。

西の爺さん、オープニングから顔出していたのか。姉さんの投げた手紙についていたクリップはゼムクリップじゃなくて目玉クリップだったのか。飛行船の横っ腹には“HAVE A NICE DAY”と書いてあったのか。男爵ってこんなに耳毛フサフサだったんだ。などなど。

本作を飽きもせず見続ける理由って何なんでしょう。

己が思春期を振り返っても、こんな素敵なエピソードなぞ1コマたりとも存在しない(どころか砂を噛むよな索漠たる想いだけが貝塚のように山積みされている)のに、ありもしない“あの頃”を追体験しようとするのは何故でしょう。

思うに、いい年こいて尚、自分にはまだ某かの可能性があるのではないか、磨いていないだけで自分の中にも原石があるのではないか、という時空を超えたモラトリアムを抱えている中高年の“永遠の中学生中枢”を刺激してくれるからではないでしょうか。

本作にはそんな台詞が目白押しです。

『その程度の物は誰だって造れるよ。まだ全然駄目さ』

『あいつは自分の才能を確かめに行くの。だったらあたしも試してみる』

『僕は(その石は)そのままでも好きですよ。でもバイオリンを作るとか物語を書くというのは違う。自分の中の原石を見つけて時間をかけて磨く事なんです』

嗚呼、何でこんな台詞に目頭熱くしちゃうかなあ(歳だよ、歳)…。

よーし、俺も磨くぞお! んで鍋焼きうどんを喰うぞお!

 

★追記:本作の主題歌「カントリー・ロード」を歌っているオリビア・ニュートン=ジョンが2022年8月8日お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。