デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

全てに先んじた恐怖の胚胎。 トリフィドの日~人類SOS~

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家の周りを取り囲む何千何万に及ぶ食肉植物の群体。

知恵と勇気で脱出を試みる篭城者たち。

食肉植物をカラスに置き換えれば「鳥」に、ゾンビに置き換えれば「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」になるわけですが、「鳥」はこの翌年、「ナイト・オブ・~」は6年後。

「地球最後の男」ですら2年後の製作です。

全てに先んじた恐怖の胚胎。デストピアSFホラーの鏑矢です。

「トリフィドの日~人類SOS~」
(1962年/スティーブ・セクリー、フレディ・フランシス監督)


監督が二人いますが所謂“共同監督”ではありません(理由は後述)。

降り注ぐ流星雨。今世紀最大の天文ショーに釘付けになる人々。

しかし、翌日、流星を見た全ての人間が失明していた…。

列車はフルスピードのまま終着駅でクラッシュ! 船は方向を見失い漂流、飛行機は燃料が尽きて墜落…。

そりゃそうなるよなぁ、な事象をちゃんと描いている所が好感度大。

目の見える少女を自分の目にするため力ずくで奪おうとする盲人や、盲目の女性たちを自由にしようとする囚人軍団とか寿行チックな描写も○。

難儀はそれだけに留まりません。隕石に付着してきたという植物トリフィドが、移動する食肉植物として異常繁殖、盲目となった人間を捕食するという下痢腹に浣腸な大惨事。

失明をまぬがれた僅かな人々が安全地帯への脱出を試みますが、機能停止+トリフィドうようよな都市はサイレント・ヒル並みのデンジャー・ゾーン。

お話は、目を怪我していた一等航海士ビル(ハワード・キール)と、寄宿舎を脱走して貨物列車に潜んでいたスーザン(ジャニナ・フェイ)を中心に進んでいきますが、同時にサブ・ストーリーが走ります。

灯台しかない孤島で生物研究を続けている科学者夫婦がそれ。

ラジオ放送から事態を把握。トリフィドを研究して弱点を見出そうとするのですが、このシークエンスがまるっと不要。

他の登場人物とは一切絡まず、ただひたすら研究(カミさんは悲鳴をあげているだけ)。

「きっとどこかに弱点が…」とか言っているのですが、「植物なんだから燃やせばいいじゃん」(←私の突っ込み)。

結局、意外と言うよりは安直な弱点を見つけるのですが、これが安いハッピーエンドに繋がり、それまでのデストピアな匂いを台無しにしています。

しかも、それが弱点だとしたら海に囲まれた孤島にトリフィドが繁殖したのおかしくないか? 種子が飛んできたってだけじゃ説明としては弱いぞ。

画竜点睛なご都合主義ですが、これには訳がありました。

何でも、スティーブ・セクリーの撮った元のバージョンは、解決策のないまま終わる滅亡リーチな内容だったそうです。

それを試写にかけたら不評だったので、急遽、フレディ・フランシス監督が撮り足したのが、灯台のシークエンス・・らしいです。

これなら、監督が二人いる事、灯台の二人が他の登場人物と絡まない事の理由が分かります。

しかし、仮にトリフィドを撃滅できたとしても、人類の大半が失明しているという地球規模の課題は残るぞ。

試写の反応を見て、内容、特にエンディングを変えるというのはよくある話ですが、善し悪しですね。余計な事しないで、最初のバージョンのまま公開していれば、「渚にて」と並ぶデストピアSFの傑作になったかもしれないのに・・。