デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

まるで洗脳教材。 ネオ・ウルトラQ/言葉のない街

イメージ 1すみません、前言撤回。1日経ったら色々な事がふつふつと(笑)。備忘録も兼ねて感じたことだけ記しておきます。

「ネオ・ウルトラQ/第5話・言葉のない街」
(2013年2月9日放送/中井庸友監督)

50年前(本シリーズの時間軸が良く分からないので、それがいつを示すのかは不明)、田所博士(日本沈没を予言した人ではない)が発明し、実用化された人造人間エピゴノイド

エピゴノイドは人間の心を理解、いや読み取ることができました。言葉を媒介しないコミュニケーションが可能な人類の友。

一部の富裕層が、メイドとして伴侶として恋人として購入しましたが、ある日、1体残らず職場放棄して田所博士の元に里帰り。

その後田所博士は失踪して現在に至るも行方知れず(年齢的に死んでいるのは確実ですが)。

エピゴノイドは田所博士の研究施設を買い取り、エピゴノイドだけの言葉の無い街で新生活開始。そこを主人公ら3名が訪問する、というストーリー。

田所博士は互いの心を理解できれば究極の愛が生まれると信じ、エピゴノイドの素体であるメリとハシオを理想のカップルにしようとしましたが失敗。

相手の心が読めるという事で相手を思いやる(相手の求める行動をする)気持ちは生まれても恋愛感情が芽生える事はなかったからです。

とまあ、“恋愛は相手の心が分からないことが前提になっている”というテーゼの立証であり、形を変えたフランケンシュタインの花嫁」(いや、「悪魔のはらわた」か?)のようでもあるわけですが…。

もうここまでで疑問・イチャモンが百花繚乱。

心を読むシステムはSF的ギミックとして捉えれば良いとして(田所博士はトニー・スタークばりの天才だったのでしょう)、そこから先が…。

まず田所博士はあんなペンションみたいな研究所で人造人間を(物理的に)組み上げたのでしょうか?(しかも量産) 理論を完成させるのと、製品をラインに乗せて製造するのは全く次元の違う話ですよね(全パーツ手作りって事か?)。

どこかのメーカーもしくは商社が一枚噛んでいたとしたら、そのパテントはどうなっていたのでしょう?

一部の富裕層にしか購入できないほど高価な商品がある日突然逃げてしまったとしたら、どう考えても賠償問題に発展しますし、当然、田所博士も責任を追及されたでしょう。

いや、その前にエピゴノイドを恋人として購入するという事に倫理的な問題はなかったのでしょうか(男女とも交配可能な器官を具備していた、という事か?)

メリとハシオが互いに心を読みあって恋愛に発展しない、という事はエピゴノイドには心や感情がある、という事です(なまら凄い発明でないかい?)。

エピゴノイドたちは購入者の黒い心を覗いてしまったために人間に嫌気がさして関係を絶ったのでは?という仁の推理がありますから、感情はあるのかもしれません。

購入者の黒い心(例えば殺意)を読み取った時に、本来ならその感情を代行(主人の代わりに殺人を犯す)すべきですが、それをした形跡がないのは何故?(法律に照らした善悪の判断基準を持ち合わせているという事か?)

あと、あの施設周辺を買いとったって、誰からどうやって? 金はどこから?

というような屁理屈が次から次へと湧き上がり、お話に全くのめり込めませんでした。

言いがかりに近いものが混じっている気もいたしますが、この脚本家さんは“絵空事にリアルを付与する努力”を怠っていると思います。

今回のエピで、私が本シリーズに対して素直になれない理由がようやく分かりました。

“説教臭い”のです。

何か授業の教材として教室で流して、「さあ、今回のテーマについて皆で話し合ってみましょう。まず最初に“愛”とは何でしょう?」

みたいな光景が浮かんできて、心が拒絶してしまうようです(故に咄嗟には語るべき言葉が出て来ない)。

これは第1回の「クォ・ヴァディス」から全部のエピに言えますね。

「皆さん、あの怪獣の目的は何だったと思いますか? あと、怪獣を殺せ!って言う人と守れ!って言う人がいましたね。皆さんはどちらが正しいと思いますか?」

「今日のテーマは美しさとは、ですよ。人を見た目で判断することをどう思いますか?」

日教組の洗脳教材を見せられているような気がしませんか?