
途中、完全に興味を失ってリタイア状態。最終回くらいと思って再チャレンジ…したのですが、結果は玉砕。
結局、何だったんだ、このシリーズ?
「ネオ・ウルトラQ/最終回・ホミニス・ディグニターティ」(2013年3月30日放送/中井庸友監督)
太古の地層から発見された宿主の細胞劣化を防ぐ寄生虫ソーマ。
化石から再生されたソーマには限りがあり、誰彼構わず長寿化させるわけにもいきません。
優秀なDNAを持った、国にとって有益な人間(子供)だけを選りすぐってソーマを寄生させ、外界と隔絶した環境で独自の英才(洗脳)教育を。
しかし、その環境に疑問を持ち、外の世界、自由な世界に憧れる少女が現われ…。
「THX1138」+「カッコーの巣の上で」(あとちょっとだけ「私を離さないで」)をやりたかったのでしょうが…。
後半、南風原(田辺誠一)もソーマの宿主である事が明かされ(少女の幻視とも取れるのですが)、この社会システムが何十年も前から構築されている事が分かります(こちらは南風原の恩師のようなタカビー博士の台詞からも伺えます)。
過去のエピを再見(しないと思いますが)する時に、「ああ、この時も南風原の背中にはでっかい三葉虫みたいな奴が寄生していたんだなあ」と思わなければならないのは物凄い興醒めのような気がします。
元来、ウルトラQというのは、日常の微妙なズレが生み出した“アンバランス・ゾーン”を描くシリーズだったと思うのですが、今回のシリーズは社会構造そのものに蹴手繰りかます“ここではない今でもないどこか知らない世界”の物語。
しかも全てパラレルで縦も横も繋がっていない世界(だから南風原がソーマに寄生されているのはこのエピの世界だけって事か…)。
イマジネーションの趣くまま自由に撮りました、とか言えば聞こえはいいかもしれませんが、正しい表現はやはり“支離滅裂”でしょう。
ネタ的に嫌いじゃない話もありましたが、総じて「世にも奇妙な物語」のCクラスエピの連打でした。
A級戦犯は過去の名作を何のヒネリも無く表層的に組み合わせただけでドラマを作った気になっている才無き脚本家いながききよたか氏でしょう。
正に仏作って魂入れず、なシリーズでした。
※関連:「熱さが無い…。ネオ・ウルトラQ/第1話・クォ・ヴァディス」
→2013年1月14日
「世界観が違い過ぎないか? ネオ・ウルトラQ/洗濯の日」
→2013年1月22日
「風刺は隠せ。ネオ・ウルトラQ/宇宙から来たビジネスマン」
→2013年1月29日
「その幻視は嫌いじゃない。ネエ・ウルトラQ/パンドラの穴」
→2013年2月3日
「まるで教材。ネオ・ウルトラQ/言葉のない街」→2013年2月11日