ロボットと自我。定番中の定番。
高性能AIが育む人間性。一見、ヒューマンな仕上がりになっているのですが、あちこちに垣間見られる歪(いびつ)さが、この映画のフリークス性を際立たせています。
「チャッピー」(2015年/ニール・ブロムカンプ監督)
2016年のヨハネスブルグ。製作翌年なので近未来というよりはほぼ現代。
続発する凶悪犯罪に警察はロボット警官隊“スカウト”を投入してこれに対抗。成果は上々。
開発者ディオンはスカウトにAIを搭載しようとテトラバール社CEOミシェル(シガニー・ウィーバー!)に直訴しますが敢え無く却下。
仕方なくRPG喰らってバッテリー部が融解し粉砕廃棄処分となったスカウト22号をガメてAIを搭載しようとしますが、これがギャングの手に…。
という導入部だけで引っかかることが色々。
2016年に南アでロボット警察隊はないだろ。あと、テトラバール社のセキュリティ、ザル過ぎないか。
チャッピーと名づけられたAI搭載スカウトが生まれたての赤ん坊状態ってのも定番設定ですが、生物が本能的に持っている恐怖心をデフォルトで備えているのは違和感あるなあ。
そう言えば、TV版「機動警察パトレイバー」第3話「こちら特車二課」でこんな会話がありました。
野明『(初期設定前のレイバーは)生まれたての赤ちゃんみたいなもんかあ』
遊馬『工場出荷したてのパソコンと言って欲しいね』
AIとは真逆な存在であるレイバーですが、この説明は腑に落ちました。
スカウトのおかげで開発の本流から外されたMOOSEは遠隔操縦型。チャッピーよりはレイバーに近い存在です。
MOOSE(開発者はヒュー・ジャックマン。←超ステレオタイプな小悪党)はどう見てもロボコップのED-209。大きく違うのは飛行能力がある事と、クラスター爆弾などというTOO MUCHな武器を搭載している事。
にしてもチャッピーはいつの間に生と死という哲学的概念を理解したのだろう…。
終盤は魂のデータ化という正と死の分水嶺を薙ぎ倒す(神の理を踏みにじる)展開を見せますが、よく宗教団体からクレームが来なかったな。
あと、魂のデータがUSB1本に納まるってのも(移動のみならずコピーもできるという点と合わせて)違和感半端無いですね。
石ノ森章太郎の原作版「人造人間キカイダー」は、“だが、ピノキオは人間になって本当に幸せになれたのだろうか…?”という問いかけで幕を閉じましたが、本作はその逆パターン。
これはハッピーエンド…じゃないよな?(監督の皮肉もしくは嫌味と思いたい)
本作、吹き替えで見ると、ギャングらの頭の悪さとチャッピーの幼児性が際立って物凄く嫌~な気分になります。観るなら字幕版でどうぞ。