『ぼちぼち分かってきたかい?』
『何がだ?』
『お前さんがなりたがっているサムライって奴がさ』
『…分からねえ!分からねえ!』
空っ風が砂塵吹き上げる上州の宿場町。圧政に苦しむ民・百姓に代わって城代家老を斬った青年武士七人。
彼らの義を私闘として闇に葬り、藩乗っ取りを画策する次席家老。
ここに首を突っ込んだ男がふたり。武士を捨ててやくざになった男・弥源太(仲代達矢)と武士になるため田畑売って脇差を買った農民・半次郎(高橋悦史)。
各々の思惑で敵味方に分かれた二人。邪魔する奴は、
「斬る!」
(1968年/岡本喜八監督)
上記設定に激しいデジャヴ。勿論原因は「用心棒」と「椿三十郎」(特に後者)。
「椿三十郎」はかっちょいいの佃煮みたいな映画です。『あばよ』の一言にテーマ曲が被るタイミングの良さ、小粋さにはため息が出ます。
明らかに二番煎じの企画。同じ原作者(山本周五郎)、同じ作曲者(佐藤勝)。
それでもどっちが好きかと聞かれれば迷わず「斬る!」。
どこを切ってもどぼどぼ溢れる岡本喜八な人間讃歌。眉間に皺寄せて悲壮感まき散らすサムライ共に対して、失うものが何もない民・百姓の「なるようにしかならねえ」な豪放磊落さ。
楽観ではない。悲観でもない。ただ生きていくという生命力。
思い思いの鳴り物で歌い踊り騒ぐ様はギグか、セッションか、ラグタイムか。
映像が踊っている。笑いは緊張と背中合わせ。岡本喜八という人間が刻むリズムがそこにはある。
正義を貫いた七人の侍のエピローグは描かれない。主役はやくざと百姓と女郎だから。サムライをヒーローになぞするものか、という喜八の矜持。
砂塵に始まり土砂降りで終わる岡本喜八のウェスタン。主役はいつもアウトロー。