RANCIDやGREEN DAYのメンバーがシャロン・テート事件を“パンク・スプラッター・パペット・ミュージカル”として映画化。
だから何だ?
有名どころのミュージシャンが反社会的な映画を撮った…そんな事を“権威”として崇めインモラルだからかっこいいと持ち上げる風潮には異を唱えておかねばなりません。
「リブ・フリーキー! ダイ・フリーキー」
(2006年/ジョン・ローカー監督)
1969年に起きたチャールズ・マンソン・ファミリーによるシャロン・テート惨殺事件をテーマにした人形アニメ…なのですが、加害者・犠牲者双方に対して不誠実の極み。
特にシャロンの描き方は死者に鞭打つ俗悪さ。
本来、マンソンが狙ったのはシャロンの前にその家に住んでいたテリー・メルチャーであってシャロンではない。
本作でシャロンは友人らとコカインパーティの真っ最中でテーブルに広げた粉の山に顔を突っ込んでは猥雑な会話を繰り返す(絵に描いたような馬鹿セレブ)。
こうだった方が面白くね?なノリの演出、人形なんだから何やっても許されるよな?な描写、コンクリート詰め殺人事件の現場を覗いたような嫌悪感。
シャロンの遺族はよく怒らなかったな(母ドリス・デートは死んでるかよぼよぼだと思いますが、ポランスキーは文句言えるだろう)。
音楽も数曲が挿入されるだけでミュージカルと呼べるような代物では。
自分勝手な俺様理論でいいからマンソンの理想を筋の通った妄想として開帳し、ゴリゴリのパンクを流して(本当の)ミュージカルにすれば、ジーザス・クライスト・スーパースターの陰画紙として成立したものを…。
勿体ない映画です(これ劇場公開したの日本だけか…。誇れないなあ)。