
スプラッターの始祖、血まみれゴッド・ファーザー、ハーシェル・ゴードン・ルイスのホラー・デビュー作。スプラッターはここから始まりました。
自分が古代エジプトのファラオの生まれ変わりと信じる食料品店の親父(←ちょっとマブゼ入ってる)が、女神イシュタール復活の儀式を行うために次々と若い女を殺害・・というストーリーはまあ、どうでもいいです。
それまで殺人という行為は単なる記号(殴られて「う!」、撃たれて「う!」、首絞められて「う!」)としてしか描かれませんでしたが、本作は違います。
人間の体は皮膚一枚で覆われた血袋である、という当たり前の事が「これでもか!まだ足りないか、じゃこれでどうだ!」と執拗に描かれます。
眼を刺し、脚を斬り、舌を抜き、脳を掴み出し、心臓を抉り出し・・。
ヒッチコックが鳥と格闘していた年に、ルイス爺さんは血糊の海で溺れていました。
ルイス爺さんが一味違うのは、“作家性?んな金にならの物どうでもいいわい”という竹を割ったような潔さ。
「自分も出演する理由?出演者を一人でも減らすために決まっとるだろうが」
「この女は長く息を止める事ができんでな。静止画にしたから金がかかったわ(怒)」
兎に角、経費が一番。その安さは画面のそこかしこに。
警察署長と刑事が署内で会話。カットが変わるたびに影の位置が変わります(いや、そもそもセット撮影の際は真上からもライトを当てるので影は下に落ちるのですが)。
どうやら天井の低いスタジオでライトは2本しかなかったようで。爺さん曰く「影のことなんか客は気にせんよ」。・・そ、そうか?
犯人はかなり適当かつ場当たり的な犯行を繰り返しているにもかかわらず、警察は「証拠ひとつ出てこない」。おいおい、あんな目立つ髪(白と紫)して、片足引きずって、手袋もしていない男が誰にも目撃されず、指紋も残さず人を殺せる訳ねぇだろ。
郊外とは言え、白昼堂々、道の真ん中で女殴り倒して拉致ってどうよ(このシーンに対するルイス爺さんの言い訳:「芸術のためだ、見逃してくれ!」)。
市の清掃車に逃げ込んだ犯人がそのままスクイーズされてしまうクライマックスの投げっぱなし感はある意味シュールで芸術的と言えなくもありません。
脚の悪い犯人に追いつけなかった刑事が一気に清掃車に追いついて停車させ(600万ドルの男かよ)、「街のゴミを掃除してくれてありがとう」と礼を言って車へ。清掃車の運ちゃんもそのまま蓋閉めて仕事復帰。
待て待て、死体は回収しないのか? そのままどっかに捨てちゃうのか? 犯人でしかも変死だろ?
犯人も死んだし、終わりでいいよな?な有無を言わせない素敵過ぎるエンディングです。
「我々(ルイスと製作のデヴッド・F・フリーマン)は映画を堕落させたといわれているが、元々堕落していたんだからお門違いだね」
因みに頭とお尻のタイトルバックに映るどこか恍惚とした表情のスフィンクスは、エジプトロケでもレンタルポジでもなく、どこかのモーテルの前にあった置物だそうです。
※参考:「2000人の狂人」→2010年10月1日