『今までどこにいた?! なあ、今までどこにいたんだよ?!』
キリストはただ見つめ返すだけで応えない。
「バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト」(1992年/アベル・フェラーラ監督)
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ハーヴェイ・カイテル×悪徳警部補
主役は街。そしてハーヴェイ・カイテル本人。
ハーヴェイ演じる警部補(役名無し。警部補-Lieutenant-の略称でLTと呼ばれている)は、目くじら立てるような悪党ではありません。
酒に溺れ、ドラッグに溺れ、野球賭博にずっ嵌り、コソ泥から金をくすね、押収品のヤクを横流しし、免許不携帯の女をおかずに自慰…。
まあ、(最低の)小悪党です。
うまいこと立ち回れば、それなりに刑事生活を謳歌できたかもしれません。
野球賭博の負けが込んだりしなければ…。
張る目、張る目が全て裏目。負けを取り戻すために更に大きな額を張って負債ばかりが山積みされて行く…。
そんな時に任された尼僧輪姦事件(犯行現場は教会)。
犯人を見たはずの尼僧は「彼らを赦す」と言って黙秘。その態度に激しく心揺さぶられるLT。
『なぜ赦せる? あんたが赦す事で次の犠牲者が出るかもしれないんだぞ』
『イエス様にお話を。祈りなさい。神様を信じなさい。イエスはあなたのために死んだのです』
こういう理屈で太刀打ちできなくなると神様を持ち出して論点を誤魔化す奴らのやり方ってどうにも納得がいかない(と言うか滅茶ムカつく)のですが、そういう文化に染まっている民族にとってはすんなり受け入れられる論法なのかもしれません。
酒とクスリと借金と仕事と宗教でテンパリ放題テンパッて行くLT。色々と細かい突っ込みはありますが、ハーヴェイ・カイテル自身の存在感が圧倒的なので枝葉はまるで気になりません。
慟哭と嗚咽と贖罪と。
邦画だと「十階のモスキート」あたりが近しいでしょうか(あの頃の内田裕也には間違いなく負のオーラがあったのになぁ…)。
ヘルツォーク&ニコラス・ケイジによるリメイクは未見ですが、“君じゃない感”が半端無いです。確かにニコラスも駄目男ですが、ハーヴェイとは駄目の質が違うと思います。
(舞台をニューオーリンズに変えたのは正解だと思いますが)
★ご参考