いい話です。
多額の借金をこしらえて失踪した父親と残された家族が13年ぶりに再会。
正確には再会したのは次男だけで長男と妻は顔も見ていません。
父親は癌で余命3ヶ月でした。
葬儀当日、弔問客の口から語られる生前の父。
それは家族が知っている父とはちょっと…いやかなり異なり。
いい話です。
いい話にケチをつけてはいけません。いけませんが…。
「blank13」(2017年/齋藤工監督)
俳優の斎藤工が齋藤工名義で撮った監督第1作。
冒頭「火葬」に関する解説が丁寧にテロップで流されます。
文字にする必要を微塵も感じさせない内容ですが、最後に「日本では99%以上が火葬」。
99%以上が火葬? つまり1%弱が未だに土葬(水葬・風葬・鳥葬とかもあるでしょうが)という事か。
こっちの方が遥かに気になりました。
日本で土葬はできるのでしょうか。
死亡届を提出した市区町村の許可(土葬許可証)を得て、更に墓地管理者の許可を得れば条例で禁止されていない地域でなら土葬は可能です。
火葬という手続きと本編が1mmもシンクロしていない蛇足口上なので、いっそここを「土葬」に関する蘊蓄にして、土葬手続きに奔走する遺族という話にしたら伊丹十三の向こうを張る事も出来たと思うのですが…。
というのっけからあらぬ方向に思考が飛ばされ、集中阻害。
父(リリー・フランキー)が失踪して13年。向こうから連絡があったとか、誰かが偶然見かけたとかがあったのかと思いきや、いきなり長男(斎藤工)が、
『何かあいつさ…胃癌らしいよ。余命3ヶ月だって。一応、病院調べたんだけど、お見舞いとか行く?』
待て待て待て。何がきっかけでその事実知った? 病名と余命まで? 病院調べたとか言っているから病院から連絡があったわけじゃないよな。
ここって物語のターニングポイントになる所じゃないのか。実話だろうが何だろうが、これは脚本家の手抜きだろう。
で、まあ色々あって告別式。
読経終えた坊さんが弔問客に『ではお集まりの皆様より順番にですね、ご挨拶を頂戴したく存じます』。
告別の手順には地域差があると思いますが、こんな事言われた事ありません。無茶振りです。
ここから仕切りが弔問客のひとり佐藤二郎にバトンタッチ。いつもの佐藤二郎節で軽妙に司会進行。
こんな奴いるわけありませんが、実際にこんなシチュになったら、彼のようなキャラでなければ到底この試練は乗り越えられないでしょう。
個性を煮〆た彼らの口から語られる「知られざる父の一面」。
元々本作はこの告別式シーンのみで構成された40分の「コント」企画だったそうで。
それを斎藤が「国際映画祭に出品できるように」とあれこれ付け足して70分の「長編」にしたんだとか。
コントを感動の家族愛にブローアップした剛腕さには唸りますが、混ぜ方を間違っているとしか(モロ「狙っている感」が透けて見えますし。そして狙い通り6冠達成)。
本作のレビューを眺めていると「諸手を挙げて絶賛コメ」か「お話になりません酷評コメ」のいずれかでなかなかに楽しませてくれます。
これは観た人がどのような家族を(もしくはどのような家族観を)持っているかによって大きく変わると思うので、どっちも正解なのでしょう。
個人的には「クズの葬儀にはやっぱりクズしか集まらず、語られるエピソードもクズまみれ」で最低な笑いの中にひとつまみの救いみたいなものがある内容になっていれば黒澤明の向こうを張れて最高だったのになぁ、と思います。
おまけ
冒頭の雀荘シーン。壁に「メガフォース」のポスター、同じ卓に蛭子さん。
合格!
★はっちゃけたリリー・フランキーが観たい方は、
★そしてメガフォースと言えば、
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★本日12月19日はジェイク・ギレンホール(1980~)の誕生日(おめでとうございます!)。
ジェイクと言えば「ドニー・ダーコ」ですが、この作品、劇場公開版とDC版で印象が(と言うか内容が)まるで異なります。是非2本立てでご覧ください。
まずは劇場公開版。
そしてディレクターズ・カット版