『イノーキ!まだだ!…イノーキ!』
ビッグバン・ベイダーの訃報をお伝えしたと思ったら、ベイダーを連れてきた(と言う建て付けになっている)マサ斎藤まで亡くなってしまいました。
7月14日。パーキンソン病。75歳。
維新軍の司令塔として活躍していた頃は“マサ斎藤無敵神話”のようなものが(我々の中に)あって、試合中に斎藤が片膝ついただけで『うおお、斎藤が片膝を!そんな馬鹿な!』とか言うくらい、斎藤に対しては厚い信頼感を寄せておりました。
マサ斎藤と言えば警官隊を薙ぎ倒した武勇伝。ケン・パテラの器物損壊の巻き添え(ホテルが同室だった)という貧乏くじで掛けられた容疑は晴れたものの女性警官を投げ飛ばしたことが仇となって有罪。懲役1年半。
ケン・パテラも大概ですが、こんなん投げ飛ばされた女性警官が悪い。己の非力を恥じて自ら服役するがいい。
そして何と言っても1987年10月4日の巌流島の決闘。2時間5分14秒という常識の枠を余裕でフライングした大激闘(スリーパーホールドで猪木の勝ち)。
ノー観客、ノールール、ノーレフェリー、ノーフォール、時間無制限…
もはや試合ではない。しかし、試合でなかったからなんだと言うのか。
商業価値とか興行価値とかどーでもいいです。こういう無茶を“やってしまった”という事が肝要。
昭和を煮〆たプロレス・レジェンド。ご冥福をお祈りいたします。