その家に漂い棲まうは幽霊か、残留思念か妄執か。
家モノゴシック・スリラーの皮を被った没落貴族もの。
「ザ・リトル・ストレンジャー」
(2018年/レニー・アブラハムソン監督)
1948年.英国の片田舎ウォリックシャー。
領主館ハンドレッドホールにかつての輝きはなく、荒れ放題。
住んでいるのは、エアーズ家の貴族3人とメイドというよりはお手伝いさんと言ったほうが似つかわしい経験浅い少女がひとりの計4人。
体調崩したメイドの診療のため館を訪れた医師・ファラデー。彼にとってハンドレッドホールはかつて母がメイドとして働いていた繁栄の象徴。
平民が足を踏み入れる事すら叶わなかった少年期、1919年の憧憬。
ファラデーは傷痍軍人として戻ってきた当主ロデリックの治療をしているうちに、フレデリックの妹・キャロラインに惹かれていくのですが…。
ダンスホールで踊るファラデーとキャロライン。
本当に楽しそうで見ていて頬が緩みました(ちょっと「天国の門」っぽい)。
ダンスを楽し気に、食事を美味し気に撮れる監督さんには才能を感じます。
この文芸小説のような語り口に突然挿入される怪異。
それは幼くして死んだ少女(ロデリック、キャロラインの姉)スーザンの呪いなのか。
呪い。霊魂。ポルターガイスト。そう捉えるのが一番分かりやすくはあるのですが、そう簡単に納得させてはくれません。
怪異の数々の目撃者は常に当事者ただひとり。
何気にシャーロット・ランプリングとかも出ています。
一部を除く全てのシーンに鏡を配し、すべてを合理的に説明できる(幽霊ではなく当事者の妄想もしくは勘違いという)余地を残した「シャイニング」のようです。
館から連れ出してもらう事を意識の外で望んでいたキャロライン。
憧れの地に仲間として受け入れてもらう事を願ったファラデー。
観測されることで実体化する怪異と診断されることで存在が確定する疾患。
真意も原因もすべてが曖昧な膜につつまれたままドラマは幕を降ろします。
私はファラデーにバリー・リンドンを重ねながら観ておりました。
館に巣くっていたのはファラデーの妄執だったような気がします。