デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

【ラッシャー木村生誕記念】‘84世界最強タッグ決定リーグ戦【テリー・ファンク生誕記念】

本日6月30日はラッシャー木村(1941-2010)、テリー・ファンク(1944-2023)の誕生日。昭和プロレス記念日と言っていいでしょう(言い過ぎ…ではない!)。

木村とテリーってリングで絡んだ事あったっけ?…と思ったらありました。

1984年12月4日(火)福岡国際センター。

‘84世界最強タッグ決定リーグ戦公式戦30分1本勝負。

ジャイアント馬場ラッシャー木村組対ドリー・ファンクJr、テリー・ファンク組。

木村がファンクスと対峙するのは77年の世界オープンタッグ選手権に次いで2度目(この時の木村のパートナーはグレート草津)。

先の入場は馬場組。「王者の魂」はアガる名曲。

次いでファンクス。「スピニング・トーホールド」こちらも名曲。

余談ですが、ファンクスを先導していたターザン後藤と思しき若者が、突っ込んで来た客(多分子供)にカウンターのエルボーを見舞っておりました。


『早くも歓声が沸き起こっています、テリー・コール! そして一部の間にラッシャー木村へのコールも聞かれます』


実況は勿論倉持アナ。 この年、木村は4月に第1次UWFの旗揚げに参加し、10月に離脱。11月に馬場のミステリアス・パートナーとして事前公表をされぬまま最強タッグ決定リーグ戦に参加します。

実は新日本も木村獲得に動いていたようなのですが…。

『新日本は会社の重役が話に来た。全日本は馬場さんが料亭に招いてくれて、直接誘ってくれた。となればどちらを選ぶかは明白でしょう』

その馬場を アニキと呼ぶまで あと4年。

試合は木村VSテリーでスタート。

木村が猛攻。ボストンクラブからコブラツイスト~グランドコブラへ。


引き継いだ馬場も16文からコブラツイスト、そしてグランドコブラへ。

これを返したテリーが強引に馬場を引き倒してグランドクプラ。そこからローリング・クレイドルへ。


掛けられたら掛け返し、更に得意技に繋げる。何と言う様式美。

チョップを見舞えばパンチで返す。


最後は試合権利のある木村が試合権利の無いテリーと場外乱闘を繰り広げている所にジョー樋口がカウントを入れて試合権利のあるドリーのリングアウト勝ち(14分33秒)。

ファンクスは勝ち点2、合計9点で単独トップ、馬場木村組は無念の優勝レースリタイア。

プチ遺恨を残す形になりましたが、試合後テリーはドリーに、木村は馬場に促されて固い(?)握手を(タイトル画像)。

残念ながら二人とも今は鬼籍。馬場も若手だった後藤すら。

昭和は遠くなりにけり。

おまけ

この時は普通でしたが、晩年になるとなかなかお目に掛かれなくなる(目にした時は思わず倉持アナが絶叫してしまう)レアシーン。

 

『馬場がリングを走ったぁ!』

 

★追悼記事×2

 

★馬場さんについても少しだけ。

 

 

 

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