デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

追悼:テリー・ファンク

テキサス・ブロンコ、テリー・ファンクがお亡くなりになりました。

8月23日WWEが発表。79歳。

死因非公開ですが、認知症の治療を続けていること(2021年11月時点)、テキサス州アマリロの生活支援施設に滞在した後、介護付きホームに入所していることなどがアメリカ国内の複数メディアで報じられていたようです。

兄ドリー・ファンク・ジュニアとのタッグチーム「ファンクス」での活躍は日本でもお馴染みでしたが、多くの人の印象に残っている試合は恐らくこれではないでしょうか。

昭和52年12月15日。蔵前国技館。世界オープンタッグ選手権公式戦最終戦

ファンクスvsブッチャー、シーク組。

この時点のトーナメント1位はジャイアント馬場ジャンボ鶴田組で13点。

ファンクス、ブッチャー/シーク組はいずれも黒星無しの12点。

勝ち点2なので、この試合に白黒つけば勝った方が優勝。時間切れ引き分けなら三つ巴戦、両者リングアウト無効試合なら馬場組の優勝という図ったような盛り上がり。

短髪テリーがわんぱく小僧(下で紹介している映画「パラダイス・アレイ」の役作りのため髪を切った)。

先に入場していたファンクスが、ブッチャー、シークに奇襲攻撃。テリーのナックルパンチでシークの白いベールがに染まる主客転倒オープニング。

更にドリーのストンピングでブッチャーのギザギザ額にのコーデ。

見せ場はブッチャー、シークの凶器攻撃。

『思い切って突き刺す!凶器で突き刺す!シーク、シークが凶器で突き刺す!ダラダラと流れる血、右腕から流れる血、これは堪りません』

倉持節が堪りません。


『今度は、あ、フォークだ!フォークです!フォークを刺しました!アブドラ・ザ・ブッチャーがフォークを持ってテリー・ファンクの右腕に刺しこみます!』

試合が行われたのは12月15日ですが、放送されたのは12月24日クリスマスイヴ。

ケーキにフォークを刺しているお茶の間に、テリーにフォークのプレゼント。

善玉・悪玉の役割分担を完璧にこなした4人は様式美の体現者。

場所は蔵前でしたが歌舞伎座なら大向こうから声が掛かる大一番でした。


プロレスラーに引退はありません。死して尚プロレスラー。

謹んで哀悼を。

★もうひとつの宿敵「ハンセン、ブロディ組」との絡みはこちらを。

★役者テリーの活躍はこちらを。

 

 

 

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