お正月はあちこちの局(主にCS)で懐かしの昭和プロレスが放送されておりました。
ジャイアント馬場対ブルーノ・サンマルチノとか長州藤波名勝負数え歌とか堪能させて頂きました。
長州が対猪木戦のビデオを見ながら発した『この時の会長の気迫…俺、睨んでいるようで目合わせてないもん。上下に動かしながら足元見てた』というコメントににやりにやり。
ちょっとプロレス者心が疼いたので、久しぶりに昭和のプロレスを御紹介。
「UWFオープニングシリーズ最終戦|時間無制限1本勝負/前田日明対藤原喜明」(1984年4月17日/蔵前国技館)
前田対藤原。後のUWF黄金カードになるマッチメイクですが、この時はちょっと、いやかなり特殊な状況。
猪木の新日本資金流用(→アントンハイセル)に端を発する猪木排除のクーデター。
『俺(様)が作った団体なのに俺(様)を切るだと?!』
新日本を見限る決心をした猪木が新間寿に命じて作らせた新たな受け皿、UWF。
しかし、新日本のスポンサー、テレビ朝日とUWFのスポンサーに名乗りを挙げたフジテレビを両天秤にかけた猪木は土壇場でテレビ朝日を選択(って事になってますが真相は藪の中)。
「すぐに猪木も来るから」と言い含められてUWFに移った前田ら先行組は梯子を外された格好に。
本来なら猪木が来るはずだったオープニング・シリース最終戦。猪木の代わりにやってきたのは藤原喜明でした。
マスコミ向けのギミックは「勝手に新日本を飛び出した裏切り者・前田を藤原が成敗に行く」。
前田にしてみれは「なんでやねん?!」ですが、それもプロレス、あれもプロレス。
このサイドストーリーに沿って観客も盛り上がっているので、後のUWFの殺伐さとは趣の異なる殺伐さが蔵前を支配。
藤原に対する熱狂的声援と前田に対する罵詈雑言。
『藤原さぁん!前田にプロレスを教えてやってください!』
『よぉし、折れ折れ折れ折っちまえ!』
『首絞めろ!』
『モノマネしかできねぇのかよ前田!』
『藤原先生!』
(本試合、会場にいた人が撮影したビデオで鑑賞。必然的に撮影者の近くにいる観客の声を多く拾っています)
リング下にはラッシャー木村、剛竜馬、マッハ隼人、そして新間寿の姿も(嗚呼、第1次UWFだ)。
試合は10分37秒、両者フェンスアウト。
UWFで両者フェンスアウトは物凄い違和感。この頃は新日本ルールを準用していたんですね(レフェリーはタイガー服部)。
収まりのつかない観客の怒号が渦巻いて、異例の10分延長。
前田がジャーマンを決めるもカウントツー(ぶっちゃけスリー入っていたと思いますが)、更にもう1発狙ったところ、藤原が右足をフックしてディフェンス。
中途半端な体制で投げを打って共に立ち上がれず(ここぞとばかり服部がマッハカウント)。2分34秒、両者カウントアウト(ダブルノックダウン)の裁定がくだりました。
前田はこの試合で『テレビもない(実況も撮影用の照明もない)、スポンサーもない。だったら遠慮なくやりたいプロレスをやってやろうじゃないか』と考え、“キックとパンチで牽制し、スープレックスで投げ、サブミッションで極める”UWFスタイルの原型を掴んだ、と言われています。
歴史の潮流を作った試合だったのではないでしょうか?