夢か現実か妄想か。視点の定まらない曖昧な線引きはSF/ホラーのひとつの型。
大抵は最後に答が用意されているものですが、本作は…。
「呪われたジェシカ」(1971年/ジョン・ハンコック監督)
田舎町で果樹園を営もうとする男女3人。
精神障害の治療を終えて退院したばかりのジェシカ、その夫ダンカン、そしてふたりの友人ウッディ。
久々の自由を満喫するジェシカでしたが…。
幻聴、幻覚…また始まってしまったのか。私は治っていないのか。
彼らが乗る車は霊柩車(後部荷台には棺…のように見えるチェロケース)。
ひっそりとした田舎道を走る霊柩車を望遠気味に捉えたショットの荒涼感。
老人ばかりの、何故か体のどこかに包帯を巻いている住民の不気味さ。
3人が住むビショップ邸に伝わる吸血鬼伝説。挙式当日に入り江で溺死し、今も吸血鬼として彷徨っていると言われるビショップ家の娘アビゲイル。
ビショップ邸に住み着いていたエミリーはアビゲイルと瓜二つ。
ジェシカにだけ見える“湖に潜む何か”“骨董品屋店主の死体”。身体のどこかに何かの印のような傷を持った住人たちの正体は。
全ては病んだ精神が紡いだ妄想なのか。
印象として近いのはやはり『恐怖の足跡』でしょうか。乾いた寂寞感という意味では『ファンタズム』とも手触りが似ています(霊柩車繋がり?)。
自分の知覚を信用できない、でもそれが自分とっての“世界”。鬱積していく不安。崩れゆく精神の均衡。
突き放した(ある意味、投げっ放しな)終わり方は色々な解釈が可能。
駄目な人には退屈極まりない作品かもしれません。
因みにジェシカ役のゾーラ・ランバートは『エクソシスト3』でキンダーマン警部(ジョージ・C・スコット)の奥さんを、夫ダンカン役のバートン・ヘイマンは『エクソシスト』の使えない医者(とにかく脳にこだわる)を演じておりました。