『さて…』見終わって壁にもたれて天井を眺め、日東の安いティーバッグにお湯を注いで湯気を追い、一口すすって元の体勢に戻る。
『さて…』どうしたものか、この映画。
「天空の蜂」(2015年/堤幸彦監督)
褒めるべきところは多々あります。プロパガンダのように見えて本質はエンタメ。そのバランス感覚は実にフェア。
何より138分飽きずに完走したわけだから、少なくともつまらなくはなかったはず。
では、この満たされない感に満たされた感覚は何だ。
1995年8月8日。最新鋭超巨大ヘリ“ビッグB”が自衛隊への引き渡し式典当日、何者かに遠隔操作され制御不能に。
飛び立った“ビッグB”は、福井県の高速増殖炉「新陽」の直上にホバリング。
“天空の蜂”を名乗る犯人グループの要求は、「現在稼動中や建設中の原発の発電タービンを全て破壊せよ、さもなくばヘリを新陽に墜落させる」。
話の骨子だけ見れば「新幹線大爆破」「東京湾炎上」と同じ箱です。
決定的に違うのは、犯人たちの想いの強さ。別に高邁な思想や小難しい理屈はいりません。例えば「新幹線大爆破」の
『いいじゃねぇか…浩が死んだって、俺が死んだって、極端に言やあアンタまで死んだって、この仕事をやり遂げりゃ、俺たちは見苦しくなくなるんだ!』
そんな慟哭のようなものでいいんです。それがまるで…。
声高に社会派なメッセージは投げつけてくるのですが、肉声になっていないと言うか、誰かの書いた原稿を淡々と読み上げている感じ。
細かい事言ってしまえば、ビッグB記念式典会場に警備員ゼロ(子供がたやすく入れ、あまつさえビッグBに乗り込めてしまう)、ラジコンに毛が生えたようなコントローラーで最新軍用ヘリの制御権を奪取(機体のみならず格納庫のシャッターまで開閉操作)という冒頭設定に「?」満開。
動き出したビッグBの中で転んでぎゃーすかぴーすか泣きわめくガキに不快感MAX。
江口洋介の「僕、今、感情迸らせてます!」なドヤ顔に萎え萎え。
警官の拳銃奪って発砲までした江口が逮捕されないのは何故?(取り囲んだ警官が黙って遠巻きに傍観しているだけとかあり得なくないか。邦画ではよく見る光景だけど)。
竹中直人や手塚とおるは、よくよく使い方考えないと存在そのものがギャグになってしまうので要注意です(やべきょうすけは良かった!)。
「面白いか?」と問われれば「そこそこ」。「心に残るか?」と問われれば「ビタ一文」。
善くも悪しくも堂々たる邦画超大作ではありました。