
「気持ちはね、皆違うの。皆人それぞれなんだよ。だから、自由にさせてほしいな」
「逃げて何が悪いの?逃げないで戦うも人それぞれだけど、そんなこと出来ない人もいる」
疑問も文句も山積みですが、何だかんだ言って終りまで観てしまいました。語り口の巧さは流石という事でしょうか。
ソラリスの海に浮かぶ地図に無い村・納鳴村。そこは自身のトラウマが化け物(ナナキ)となって現れる場所でした。

感情を増幅させることでナナキが実体化&制御下に…って理屈がわからん。
呪われた村でひとりまたひとり…という展開を期待していたのですが、まるっきりあさっての方向に話が転がり、最終的な興味は“広げたい放題広げた風呂敷をどう畳むのか”の1点に。

『父さんのスットコドッコイー!』いや、動機の説明がそんな一言って…。
自身のナナキを受け入れることで人は先に進む事ができる。これもひとつの通過儀礼なのかもしれません。

光宗の新しいナナキはやたら可愛い…ってそれ心的外傷じゃないだろ。
納鳴村を去る者、残る者。それぞれの選択。全員で下山という安直な大団円を採らなかったのは良かったですね。

下山する人間は全員ナナキと折り合いをつけたのか?
心的外傷もまた自分自身。ナナキを受け入れる事は自分と向き合う事。そして自分自身を肯定してあげる事。
設定的に色々とうっちゃらかってる所が多々ありますし、全方位消化不良(と言うか完全投げっ放し)という憾みは依然として残るのですが、ギリ許せる落とし所に納まったのではないかと思います(でもやっぱり岡田麿里とは相性悪いな、俺)。
遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガと云ふ。マヨヒガに行き当りたる者は、必ず其家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でゝ来べきものなり。