スコーピオンズのギタリスト、ルドルフ・シェンカーが自選お気に入りアルバム10枚を発表しました。
第1位は「蠍魔宮~ブラックアウト」(当時のRCAの邦題センスも凄かったですがEMIも負けず劣らず)。
以下「禁断の刺青-Love at First Sting」「ラヴドライヴ」と続くのですが、10位まで見渡して物凄い違和感。
ウリ(ウルリッヒ)・ジョン・ロート時代のアルバムが1枚も入っていない…だと!?
確かに(アメリカ・マーケットに於ける)メジャーヒットを生み出せるようになったのは、ウリ脱退(マティアス・ヤプス加入)後ですが、なかった事にされるのは得心がいきません。
ウリは(クラウスとルドルフだけになって空中分解していたスコーピオンズが)オーディションで選んだ事になっていますが、実態はウリのバンド「Dawn Road」にクラウスとルドルフが転がり込み、既にメジャーデビューを果たしているSCORPIONSを名乗った方がバンドを売り込みやすいと判断したウリがバンド名を変更した、です。
つまりDawn RoadとSCORPIONSが合併、Dawn Roadを存続会社とした後、SCORPIONSに社名変更した、という事なので、現在のSCORPIONSの礎を創ったのはウリ・ジョン・ロートです。
ウリ在籍時の傑作アルバム4枚をなかった事にするとはちっとばかし恩知らずなんでないかいルドルフ?
ウリの抒情的な泣きの(アメリカ人にとっては暗く辛気臭い)、そして時に暴力的なギターがなければ、少なくとも日本ではあれだけのセールスは記録出来なかったでしょう。
★ルドルフの恩知らずベスト10を全部見たい人はこちら。
ウリ在籍時のアルバムは以前「クラシックロック探訪12」で「復讐の蠍団 In Trance」をご紹介しておりますが、今回はウリ加入直後に発表された仕切り直しのこの1枚を。
電撃の蠍団~フライ・トゥ・ザ・レインボウ/スコーピオンズ
Fly To The Rainbow/SCORPIONS(1974)
頭の悪い中学生が描いたようなジャケットには目を瞑ってください(笑)。
1曲目のSpeedy’s Coming(ルドルフ/マイネ)で疾走感たっぷりに始まったアルバムは徐々にジャーマンな湿った色彩になり、7曲目の9分40秒に及ぶ大作Fly To The Rainbowでクライマックスに。
切り貼りとは言え、マイケル・シェンカーとウリの「共作」によるこの曲は、スコーピオンズ版「四季」な赴き。
跳ねるような軽快な導入部から弾けるような前半部。そして憂いを帯びた中間部からどんよりと重い後半へ。
まあ、絶対にアメリカじゃ受けない楽曲だとは思いますよ。
でも、そこが初期SCORPIONSの魅力じゃないですか。
本作か「In Trance」「Virgin Killer」「Taken By Force」、どれか1枚でいいからルドルフ自選ベストに入れて欲しかったなぁと思います。
★「復讐の蠍団 In Trance」のご紹介はこちら。
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★本日9月7日はダリオ・アルジェント監督(1940~)の誕生日(おめでとうございます!)。
アルジェントが書いた脚本をマリオ・バーヴァの愚息ランベルトが監督し、ルドルフが選んだナンバー1アルバム「ブラックアウト」に収録されている「ダイナマイト Dynamite」をサントラに使ったのが、
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ジャン=ポール・ベルモンドがお亡くなりになりました。
9月6日。パリの自宅にて。死因非公開。88歳。
公式ソースが見つからないので真偽の程は不明ですが、モンキー・パンチ原作版「ルパン三世」や寺沢武一「コブラ」のモデルと言われ、湖池屋ポリンキーのキャラクター(ジャンとポールとベル)の元ネタであり、平井和正「アダルトウルフガイシリーズ」では主人公・犬神明の枕詞(ジャン=ポール・ベルモンドを漫画にしたような)として引用されている、実は日本とも意外なところで縁が深いお方です。
印象深いのは(好き嫌いはさておき、ヌーヴェルヴァーグの嚆矢として歴史の教科書にも載りそうな、そして渡哲也が「紅の流れ星」で大胆にパク…あいやリスペクトした)「勝手にしやがれ」、アラン・ドロンを喰って美味しい所を持って行った「ボルサリーノ」、ベルモンドと言えばベレッタ(M93R)を印象付けた「パリ警視J」辺りでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。