顔は知っている。一応名前も。
でも友達じゃない男二人。
この気まずい「間」と言うか「距離感」、あるいは空気の「密度」をすくって並べてかき混ぜて・・。
自主映画の脚本家・坪井(長塚圭史)と監督・木下(山本浩司)は、俳優・船木(山本剛史)と3人で新作映画の打ち合わせを兼ねた旅に出ることに。
しかし、二人を引き合わせるはずの船木は待ち合わせ場所である現地(鳥取)の駅に来なかった(理由:寝坊←集合時間にまだ自宅)。
取りあえず宿を知っているという木下に促されて宿に向かうと、そこは無人(休みと言うよりは倒産)。
「予約とかは?」「してない。そこまで頭回らんかった」
土地勘の無い田舎で彷徨う二人。互いの距離感を測るため手探りでジャブ(時にはうっかりストレート)を繰り出しつつ、間合いを詰めていきますが・・。
つげ義春の「リアリズムの宿」と「会津の釣り宿」を原作にしているとは言え、小ネタを拝借しているだけで、話の骨子はオリジナル。
しかし、全体を包み込む体感温度はとっても“つげ”。
ここに故意か偶然か、降って湧いた女神・敦子(尾野真千子)が加わって青春映画の黄金率(男2+女1)完成。
こういう風情になると「くるり」の音楽は俄然精彩を放ちます(「ジョゼと虎と魚たち」も同年。充実の1年です)。
野外で炊くお風呂(宿主曰く露天風呂)は、「会津の釣り宿」からの引用ですが、できれば露天風呂の来歴(鉄砲水で散髪屋の風呂桶が入浴中の娘ごと流されてきた)も映像化して欲しかったなぁ(無理だよな)。
※参考:「ジョゼと虎とSMキング」→2008年6月27日
「ジョゼと虎と中国製トカレフの謎に迫る」
→2009年1月15日