ううむ…。私は特段ガンダムのキャラやストーリーに思い入れがあるわけではありません。
せいぜいファーストの劇場版総集編3部作を観ている程度で、ファーストと本作を繋ぐ「Z」「ZZ」は未見です。
なので、情勢の変化、キャラの立ち位置、ギミックとしての各種ツールに関して話の繋がらない部分は多々あります。
でもまあ、そんな事は適当に脳内補完すれば済む話ですし、(過剰な思い入れによって評価に下駄を履かせる事ができないという点を除けば)大した問題ではありません。
というわけで、純粋にキャラ造形だけに着目したのですが、やはりこの世界は私とは相容れないもののようです。
「機動戦士ガンダム/逆襲のシャア」
(1988年/富野由悠季監督)
シリーズ初の劇場用新作にして、ファーストから続くアムロとシャアの確執に決着をつける完結編、という位置づけ。
ファーストでは、民間人が否応無く戦闘に巻き込まれ、心ならずも軍人として成長していく(軍事経験の浅い軍人も指揮官として成長していく)過程を描くという基本設定を理解はしながらも、アムロやセイラの自分勝手な独断専行・命令無視に結構イライラさせられました。
そのストレスを解消してくれたのがシャアの目的の為には手段を選ばず、殺る時ゃ殺るぜな冷徹キャラ。
そのシャアが“逆襲”するとなれば、さぞかし権謀術策が交錯する非道な大人のドラマが展開するのだろうと期待したら、こりゃ一体なんじゃらほい?
何故あんな小便臭いナマイキ女に皆して翻弄される?
シャアも昔の女にいつまでこだわってんだ? ってか、本当にそんな理由だけで事を起こしたのか、君は?(「坊やだからさ」が天唾になってるぞ)
女々しい。どいつもこいつも女々しい。くだらん嫉妬と我侭と自分本位で幼稚な理屈が死体の山を築いていく。
その索漠さを描く事が作者の狙いなのだとしたら大成功ですが、そうなのか、富野(さん)?
そもそも“大人”と“子供”という竹を割ったような単純な二元論で事の善し悪しを論じる作劇がどうにも好きになれません。
恐らくここに至るまでの全エピソードをきっちり把握して反芻すれば、もっと違う見方ができるのでしょう。
やはりガンダムは、リアルタイムに追いかけて、共に年輪を重ねた人だけが享受できる悦楽のようです(私はリタイア)。