ひねくれ爺の特徴のひとつに“若い奴が知らないのをいいことに歴史の生き証人であるかの如く猪木を語る”というのがあります(あるよな)。
音楽業界で言えば、「ツェッペリンの初来日公演も観ていないような奴を認めるわけにはいかない」とか言い垂れている渋●陽一みたいな感じでしょうか。
町で評判の偏屈爺になるために、これからは折を見て昭和のプロレスを回顧してみようかと思います。
初回のネタは、
「新日本プロレスTHE25 PART1 革命と抗争」
(ビデオ・パック・ニッポン)
新日本プロレスの誕生から25年を抗争の切り口で98分に無理矢理まとめた歴史の教科書。
もう上っ面だけ端折って繋げているものだから、画竜点睛欠きまくり。
いきなり新日本誕生の理由が「当時タブーであった日本人対決を口にした(馬場に対決を迫った)猪木を日本プロレスが除名したから」…っておいおいおい、話の真ん中がすっぽ抜けているぞ(笑)。
一事が万事こんな感じなのですが、それでも見所は一杯。
昭和57年1月1日後楽園ホールでの藤原喜明対カール・ゴッチ戦。
フルネルソンの取り合いからゴッチのジャーマンという様式美を極めた展開は最早芸術。
ここから視点を藤原に移していくと、新日本という運動体の中で藤原喜明という男が如何に重要な存在だったかが分かります。
猪木の付き人として、影武者として、関節技を極めたゴッチの愛弟子として、ある時は若手を鍛え、ある時は生意気な外人レスラーにそれとなくお灸を据え、必要とあらば鉄砲玉になることも厭わない。
雪の札幌中島体育館で花道の長州を急襲して血だるまにし、前田討伐の名目で猪木が見限った旧ユニバーサルのリングに上がってシュートの礎を作り、親日復帰後は前田を破って猪木への挑戦権を得、猪木のスリーパーで落ちた男。
前田を温存することでUWFを守り、猪木を追い込みながらきっちり落ちることで猪木の凄みを引き出した男。
「問答無用の仕事師、超過激な一本気、破れかぶれのテロリスト!」
古館の名調子。しかしその実態は…。何かこの人は常に何かを守っていたような気がします。
新生UWF崩壊後の藤原組旗揚げも彼が守らなければならない者たちがいたって事なのかもしれません。
嗚呼、旧UWFの藤原対スーパータイガー戦が観たくなってきたな…。
「革命と抗争」章構成と主な収録試合は以下の通り。
■新日本プロレスの生い立ち:[猪木対ゴッチ]
■「長州力、維新の時代」と「IWGP」:[藤波対長州/第1回・第2回IWGP]
■UWFの遺伝子:[藤原対ゴッチ/前田対D・N・ニールセン]
■マシン軍団:[軍団増殖/「お前は平田だろう!」]
■海賊男の登場:[猪木対マサ斉藤戦に乱入]
■飛龍革命:[藤波対木村ワンマッチ興行/「無我」旗揚]
■NWO:(←この辺りになると割とどうでもよくなっている)