晴れて恋人同士となった雪野と惣一郎。その周りで各々の悩みを抱える友人たち。
芝姫つばさの父親再婚問題を扱った第13話「幸せの主観」、雪野の両親の若き日を描いた第16話「永遠の点綴」は泣いて笑えるイチオシエピ。
しかし、ここから終盤に向けてドラマはなし崩しに失速。
この壊れ行く展開はいつか来た道。
失速の最大原因は過剰なる総集編。
そもそも毎回冒頭に「これまでのお話!」という解説(BGMは「正太郎マーチ」!)がついているのに敢えて総集編を作る意味がわかりません。
(いや勿論、放送が連載に追いついてしまう、という大人の事情は分っています。作劇の必然性としてどうなの?ってお話)
まず、第14、15話と2週続けて総集編。エヴァの時はバンクを使いまわして別の話を紡いでしまうという高等テクを見せてくれましたが、今回はBGMに合わせて絵だけを繋ぐ(台詞無し)という骨格標本のような編集。
※第14話は庵野版をテレビ東京が受け取り拒否、急遽大月俊倫プロデューサーによる差し替え版が作られ、ソフトには通常スタッフにより再度編集されたものが収録されています。因みにこの受け取り拒否にブチ切れた庵野は監督を降板しています(プロレスのようですが…)
更に終盤、再度延々総集編。絵だけじゃなく、ナレーション原稿まで使い回すという芸の無さ。
そして迎えた最終回。
断片的なモノクロ映像(一部線画、一部実写)に、小難しいナレーション。前衛の重ね焼きとも言える映像詩集を垂れ流して終劇。
え…終わり? そう…。
長距離マラソンでスタート・ダッシュ。一気に先頭に立ったかと思いきや、あっと言う間に後続に抜かれて青息吐息。
何もここまで尻切れ&前のめりにしなくとも。最後の引き(最終話で“引き”ってもアレですが)なんか、まんま「終わる世界」じゃん。
もうちょっと違うまとめ方があったんじゃないか。それともこれが当時の気分だったのか、庵野?
最後に今回改めて感心した事。
街灯とか電柱とか鉄塔とか信号機とかブロック塀とかアスファルトとか公衆電話とか道路標識とか電線とか工場とか煙突とか描かせたらガイナックスの右に出る者はいませんね。
写真は北米版からのキャプチャー。イタリア版はこれらのテロップが全てイタリア語に挿し代わっています(ええ、読めませんとも)。
あと、EDの実写部分も本当は毎回違うのですが、イタリア版は教室から逆走トラッキングする1パターンのみ。購入を検討している人は要注意です。