デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

やっぱり駄目だと思う。 クロエ版キャリー[2013]

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何だかんだ言ってそれなりに観られるものにはなっているんだろうという予想は概ね的中して、最後まで退屈する事無く鑑賞はできました。

できましたが…。

「キャリー」
(2013年/キンバリー・ピアーズ監督)

お話は大筋においてデ・パルマ版を踏襲しています。変わったのはキャリー(クロエ・グレース・モレッツ)と母マーガレット(ジュリアン・ムーア)のキャラクター設定。

冒頭、キャリーを自宅で産み落とすマーガレット。

その場で赤ん坊を殺そうとハサミを振り上げますが、果たせず抱きしめる、という描写は、終盤、キャリーがクラスメイトのスーの懐妊を言い当てる(「女の子よ」)シーンに対応していて、綺麗な韻を踏んでいます。

母に逆らい、プロム用のドレスを作るキャリーをどう扱ってよいか分からずただ遠目に眺めているシーンは反抗期の娘を持った母の心情としてはリアルなのかもしれません。

反面、マーガレットは柱に頭をぶつけ続けたり、ナイフで太ももを刺すなどの自傷癖があり、宗教依存以上に重度のメンヘラであることが伺えます。キャラを印象付けるには有効ですが、そっち系の色づけは余計だったかな、と思います。

で、問題のクロエ。

好みの分かれる所ですが、彼女が本作一番の地雷です。


どんぐりまなこで寄り目がち、鼻の穴が大きく小鼻が上向き(おまけに口が半開き)という造型は“恐怖”“憤怒”“悲哀”という方面の感情表現に適さず、アップが全てマヌケ顔に。

設定上の問題は、キャリーが超能力に関する自覚を持っている事。

本で調べ、能力の発露と抑制を学んでいます。つまり、クライマックスの大暴走は極めて意図的に行われている“コントロールされた怒り”であるという事です。

いい例が、自分をかばってくれた女体育教師の救命。

デ・パルマ版では無残に殺しており、自分の側の(ように振舞っていた)人間ですら犠牲にしてしまうキャリーのどうしようもない哀しみと制御不能の能力の怖さが伺える名シーンなのですが、残念ながらここは踏襲せず。

いや、そもそもキャリーは復讐をしようとしていたわけではないと思うのですよ。

哀しくて悲しくて、善と悪を超越した荒ぶる神になった、そんな捉え方をしていました(試しにオリジナルのプロムシーンで伊福部昭大魔神のテーマ」をかけてごらん。ぴったり嵌るから)。

だから、トラボルタとナンシー・アレンの殺され方が地味で淡白(車が横転・炎上)でも何の問題も無かったわけです。

なので、クロエの“AKIRAかよ!”なアスファルト縦割りとか「なんじゃそりゃ?」な違和感ひとしお。

何が一番駄目って、超能力使うときのクロエの表情としぐさ。

眉間に皺寄せて、力んで、腕突き出して振り回して…もう興醒め博覧会。

私は別にデ・パルマ原理主義者ではありませんが、オリジナル「キャリー」に関しては役者、演出、音楽、撮影、編集が融合した青春ホラーの奇蹟だと思っています。

今回の新作は、終わってみれば後に何も残らない凡百のリメイクホラーの1本、という感じでした。残念。

※ご参考