
昨日のつづきで25年ぶりに生まれ変わった霧の話を。
Yahooブログに引っ越してきてからは多分初めてだと思いますが、久しぶりに心を込めたこの一言を。
うわあ、つまんねえ。
「ザ・フォッグ」
(2005年/ルバート・ウェインライト監督)
お話の基本骨子はカーペンター版と同じ。ところどころオリジナル・リスペクトな絵柄も見られます。
違うのは視点の取り方。
カーペンターが敢えて主役を立てずに虚飾を排して霧に包まれた街の一夜を演出したのに対し、こちらは虚飾だらけ。
オリジナルでジェイミー・リー・カーティスが演じたヒッチハイカー、エリザベス(マギー・グレイス)は、元々この街の出身で惨劇の当事者の子孫という新設定。

どーでもいいよ。
ニックの所有するボートを勝手に持ち出した友人とその仲間が霧に襲われて惨死。冷凍庫に隠れてひとり生き残ってしまった友人に殺人の容疑が…。
いや、そういう展開求めてないし。
ボートでビデオカメラを見つけたニックは、「友人の容疑を晴らす証拠かもしれない」と言ってカメラをガメてエリザベスに(とっとと警察に渡せよ)。
案の定、惨劇の一部始終が記録されていましたが、エリザベスがボート小屋でカメラを海水に落として全部パー。その後、友人は病院を脱走して追われる身に…。
いや、だからそういう安っぽいサスペンスは…。
編集が下手なのか視点があっちこっち無秩序に飛ぶので、筋を追うこと自体が面倒臭くなってきます。
如何にカーペンターの語り口が見事だったのかを再認識いたしました。

本作オリジナルのオチなんか、怒り通り越して瞳孔開放(「シャイニング」ごっこがしたかったのか)。
一応、製作にカーペンターとデブラ・ヒルが名を連ねていますが、どれほど関わっていたのか。
これがデブラ・ヒルのカーペンター・ラスト・ワークかと思うと泣けてきます(死後公開された「ワールド・トレード・センター」の製作にも噛んでいるようですが、本作が事実上の遺作)。