『ええか、宏。総会屋になるんやったら、まず喉を鍛えて、一声で総会場を抑えられるだけの大声が出るようにならないかん。
それから会社法を勉強して、企業の実態を知れ。
次に商法のマスター。第四に総会を進行させる脚本・演出の絵図が描けるように絶えず才能を磨かにゃあかん。
最後に必要なんは度胸。今の世の中、みんな八百長や。
堂々と後の世に伝わる八百長の大名人になったってや』
手書き名刺のチンピラから総会屋の頂点へ。異色の立身出世物語。
「暴力金脈」(1975年/中島貞夫監督)
中江宏(松方弘樹)は駆け出しの総会屋。端株を買い漁って企業巡りの日々。
早朝に企業の総務部で整理券を貰い、9時の始業に再び総務部に行って金を貰う。何をやっているのか分からないと思いますが、これが当時の企業の総会屋に対する手当て支給の光景。
後ろ盾を持たない中江は門前払いを喰らいそうになりますが、ベテラン総会屋・乃木万太郎(小沢栄太郎)に救われて手当てゲット。
“貰い続けて30年”の万歳屋・乃木に弟子入りした中江は総会屋のイロハを学んでいきます。
中江のモデルは“最後の総会屋”と呼ばれた小川薫(彼がいなければピンク・レディーは生まれなかった…らしい)。
小川に密着取材して笠原和男が書き上げた前半が抜群に面白い(笠原は小川と共に三越の総会にも参加し、共政会幹部のふりをした事もあるらしい)。
反面、野上龍雄が執筆した後半がグダグダの極み。特にラストはカタルシスから1万光年の腰砕け投げっ放し(目を疑い耳を疑い言葉を失った)。
脚本家の力量というよりは、悪い奴を手繰っていくと必ず最後に行き着く「銀行」に刃を向けることができない(映画制作費も銀行融資が無ければ成り立たない)社会構造の限界がそこにありました。
笠原氏は『ドラマとして決着がつくようにラストシーンをちゃんと書いた。野上君と話し合って会社からイチャモンがつくかもしれないけどやろうと決めた。それを中島が敵前回頭した』と言っているようですが真相は闇の中。
笠原が用意したという“決着”。気になります。
総会屋の実態というのも衝撃でしたが、本作一番の衝撃はチンピラ時代の中江の副業(と言うか主たる収入源)。
野良猫を捕まえて猫屋(異世界と繋がっている食堂ではない)に売っているのですが、猫屋が猫をどうしているのかと言うと…。
書けません。動物愛護家の人が見たら3回は気絶すると思います。