“愛はしばしば、奇蹟を生む”―こんなフレーズ使ってブッ飛ばされないのは文壇広しと言えど平井和正ただ独りでしょう。
平井和正氏がお亡くなりになった時の追悼記事の一節ですが、もう一人追加することになりそうです。
その人は黒沢清。
タイトル見た時の印象は「何か円谷チックだなあ…」(「散歩する首」「侵略者を撃て」「散歩する惑星」etc.)。
数日行方不明となっていた夫・真治(松田龍平)が保護された。出迎えた妻・鳴海(長澤まさみ)は強烈な違和感を覚える。「これは夫じゃない…」
親と喧嘩して鳴海の元に転がり込んできた妹・明日美(前田敦子)。自分はあなたの義理の妹、だから家族、と言う明日美に真治が訊ねる。
『家族って何?』
同時期、同じ町で起きた猟奇殺人事件(一家バラバラ)を追うフリーのジャーナリスト、桜井(長谷川博己)の前に現れた青年・天野(高杉真宙)。
バラバラ事件の生存者にして重要参考人の立花あきら(恒松祐里)を一緒に探して欲しい、と言う。
『探してどうすんだ?』
『目的は地球の侵略。どう? ピンと来た?』
『ああ…という事は君は宇宙人?』
『うん』
彼らは斥候。侵略前に人間というものを理解し、本星にGOサインを送るのがミッション。
人間の理解のために彼らが始めたのが概念の収拾。「家族」「(所有格を現す)の」「仕事」「敵」…。
普通、侵略前の情報収集なら“相手の防衛力”を調べるものだと思いますが、それを言ってしまうとお話が成り立たなくなるのでスルー。
あと、どうせ侵略(サンプル数体を残して殲滅)してしまうのなら、相手を理解する必要などないのでは?という疑問も全力でスルー。
面白いのは概念を読み取られた相手はその概念を失ってしまうこと。
「家族」の概念を奪われた明日美は、姉を他人としか認識できなくなり、所有格の概念を奪われた青年は引き篭もりから解き放たれ他者と関わりをもとうとする…。
所謂“四畳半SF”(元々は舞台劇)なのですが、映画的スケール感を出そうとして持ち出した国家(厚労省やら自衛隊やら)が微妙な空気を醸成してしまいました。
国家介入はなかった方が良かったかな…。
国の連中に追われた松田龍平の走り方が、歩幅を広げて腕を振り、スローモーション気味に動く“ケムール人走り”になっていたのは良かったです(やはり円谷リスペクトなのか)。
侵略タイプとしては「ボディ・スナッチャー」「吸血鬼ゴケミドロ」「ブルークリスマス」「ヒドゥン」「スターマン」の系譜。
概念を奪うという手法と冷え切っていた夫婦関係が夫の人格変貌によって修復されていく過程がテーマ兼見所でしょうか。
そう言えば、平井和正の代表作「死霊狩り」は、不定形の侵略者ゾンビーとの戦いで全ての人間的感情を失った主人公が(侵略者がもたらした)愛によって再生するお話でした。
やはり愛は地球を救うのか?…って製作幹事日テレかよ(笑)。