世間的には「この映画を絶賛しない奴は人でなし」みたいな風潮がありますが、敢えて訊きます。この映画のどこがいい?
「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994年/ロバート・ゼメキス監督)
公開時の印象は「なんじゃ、この胡散臭い映画は?」。
フォレストの名前の由来は、劇中で語られている通り南北戦争の(勿論負けた南軍の)英雄にしてKKK団(白人至上主義の秘密結社)初代党首ネイサン・フォレストから。
理由は、字幕によれば「“人間はバカな事をする”と戒めるため」。さすが日本語不自由な誤訳の女王、全く意味がわかりません(笑)。
Scriptは、“Momma said that the Forrest part was to remind me that sometimes we all do things that”。強引に訳せば、「我々が皆KKK団的行為をする事をガンプに思い出させるため」ってな所でしょうか。
ガンプの故郷はアラバマ。人種差別に於いて世界最悪と言われた場所です。ガンプ家はそこに“おじいさんのおじいさんのおじいさん”から住み着いている生粋の白人家系。
もう、自ずと意図は明らかですよねえ。逆の意味にとる人がいるかもしれませんが、じゃあ例えば、ドイツ人が“ナチの愚行を戒めるため”に息子にアドルフとつけたりするでしょうか?
有り得ません。しかも母は、ガンプ家がネイサンの血筋にあたる事をほのめかしています。大いなるリスペクトをもって名づけたはずです。
もう一人の主人公ジェニー。彼女は“古き良きアメリカ”を体現するガンプの暗黒面“セックス、ドラッグ、ロックンロール”のメタファーです。
ゼメキス監督はジェニーを使って、カウンター・カルチャーをコケにしまくってます。
ジェニーの夢は「ジョーン・バエズのような歌手になる」事。
念願かなってステージに立ちますが、そこは場末のストリップ小屋でジェーンは裸(写真)。間接的にジョーン・バエズを笑いものにしているわけですが、ご存知のように、ジョーン・バエズは現役バリバリの公民権運動家兼反戦活動家です。
ジェニーがラリって投身自殺しようとするシーンに「フリーバード」はないだろう。
国の言うとおりベトナムに言ったガンプはわらしべ長者のように豊かになり、戦争に反対したジェニーは坂道を転げ落ちるように不幸になって、最後はエイズであの世行き。
もうわざとジェニーに感情移入できないように演出しているとしか思えません。
まあ、ほかにも色々ありますが割愛。気になる人は映画秘宝で町山智浩氏が論戦張っているので参考にしてください。
「抱きしめたい!」や「ユーズド・カー」の頃のゼメキスは好きだったんだけどなあ・・。