デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

顔の切れ目が理性の切れ目。 URAMI~怨み~

 

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ある朝目覚めると、顔が無くなっていた・・。

うむむ。かなりコアなロメロ・ファンでもこの作品を擁護するのは骨が折れるぞ。

「URAMI~怨み~」
(2000年/ジョージ・A・ロメロ監督)


ヘンリー(ジェイソン・フレミング)は真面目で気さくでお人よし。郊外に念願の一戸建てを購入して日々節約の日々。

しかし浪費家の妻には甲斐性無しと罵られ、上司からは無能と蔑まれ(しかも、この二人裏でデキている)、友人の証券コンサルからは儲けをピンハネ(妻の入れ知恵)される始末。

もはや我慢も限界。「顔無し」となったヘンリーは舐めた口をきく家政婦撲殺を皮切りに、欲望の赴くまま復讐を開始・・。

無機質な仮面が顔に張り付いて取れなくなる、という一種のファンタジーを行動起点にしている事は不思議と違和感がありません。

6年間、映画制作のチャンスを与えられなかったロメロの“怨み”が込められているらしいのですが・・。

比較的テイストの近い「ファントム・オブ・パラダイス」や「ダークマン」と比べると主人公の悲哀が足りなさ過ぎますし、貧乏人版「アメリカン・サイコ」にしちゃあ“乾いた笑い”のようなものがありません。

敢えてロメロが撮る必然性があったのか疑問の残る中途半端な出来なんですわ。

とは言え“復讐もの”は嫌いではないので、それなりに楽しませてはもらいました。

いっその事、“そんな世間にオ・サ・ラ・バだ!”というキャッチ・コピーを体現して、“躊躇なし呵責なし無分別なのに狡猾かつ残忍”な人でなしの殺人鬼になってくれたら、溜飲の下がる(世間の評価もダダ下がる)「問題作」になっていたかもしれません。惜しい。

※参考:「名詞ひとつで大パニック。印刷屋必見。アメリカン・サイコ
     →2009年11月27日