「うる星やつらを支えていたSF的な道具立てを言葉だけで突破してみよう、と」
押井守が「御先祖様万々歳」について語った時の語録です。あやかれば、
「惑星ソラリスを支えていたSF的道具立てを設定だけで突破してみよう、と」
という感じだったのではないでしょうか。
「ストーカー」
(1979年/アンドレイ・タルコフスキー監督)
絵柄だけ見れば、田舎の山中をおっさん3人が歩いているだけです。
映るものと言えば、草、風、点在する廃墟、そして水。
しかし、そこが外界とは異なる物理法則に支配された立ち入り禁止の封鎖エリア“ゾーン”で、その最深部には入った人間の最も切実な願いを叶えてくれる“部屋”がある、という設定が加わると、途端に硬質なSFに早変わり。
3人のおっさんは、学者、作家、そしてゾーンの水先案内人“ストーカー”。
「どこにいても俺にとっては牢獄だ」というストーカーの閉塞心象を思わせる限界セピアなモノトーン映像が、ゾーンに入ると優しさと生命力溢れるカラー映像に。
SFはイマジネーションだと気づかせてくれる160分の“いい旅夢気分”です。
※参考:「我、汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ。惑星ソラリス」→2009年4月3日
「タルコフスキーの心象念写。鏡」→2009年11月23日