デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

岡本太郎万歳! 宇宙人東京に現わる

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緋色の地にフルーツ・パーラーのような書体の白抜きタイトル(写真上)。

大映質実剛健さが鳴りを潜めたアバンギャルドなクレジットに「お!?」

スタッフの中に“色彩指導:岡本太郎”・・・なるほど。

「宇宙人東京に現わる」(1956年/島耕二監督)

オープニング・タイトルが終わると群青色の番傘のアップ→引き画で真っ赤な上っ張りを着た着物の女性(本筋とは何の関係も無いエキストラ)→赤提灯と鮮やかな色彩のバトン・リレー。

爆発してます岡本太郎

しかし岡本画伯の本領発揮は何と言ってもヒトデに一つ目の宇宙人デザイン。

こいつらの会話が実にキッチュ

「で、地球人は我々の警告を聞いたのか?」

「いえ、我々の姿を見ただけで気味悪がって」

「なんだと、地球人はそんなに美しいのか」

「とんでもない、彼らの理想の女性はこれです(歌手の写真を見せる)」

「なんだこれは。こんなものが美しいとはなんて可哀想な奴らだ」

で、協議の結果、代表1名が醜くなり(人間に化け)、地球人とコンタクトすることに。

「まあ、地球に入れば地球に従えと言うではないか」

そんな諺がパイラ星にはあるんですね(素晴らしい星だ!)。

ええっと・・何の話でしたっけ?

パイラ人の目的は、地球に接近しつつある新天体Rに関する警告と、核兵器保有に対する警鐘なのですが、どうも言っている事とやっている事に整合性がなく、彼らの道義的宇宙愛が何に根ざしたものなのか今ひとつ掴みきれません。

話のスケールは全世界→宇宙へと広がっていくのに、画面は「三丁目の夕日」から一歩も外に出ないというアンバランスさ。

敢えて公式にすると、(「地球が静止する日」+「宇宙戦艦ヤマト2」)÷「三丁目の夕日」。

折角、遊星接近による津波などのスペクタクルシーンを用意しているのだから、もう少し視点を上げたハードSFにしても良かったのではないかと思います。

よくパイラ人が巨大化して街中歩いているスチール(写真下)とか見かけますが、そんなシーンはありません。パイラ人は等身大で、コンタクト代表は地球人に擬態していますし、何より彼らの 目的は侵略ではありません。二重三重にあり得ない宣伝用スチールです(そのハッタリ感は嫌いではありませんが・・)。