デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

黒澤監督、ごめんなさい! 隠し砦の三悪人

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例えば、ミュージカルというジャンルに拒絶反応を示す人がいます(代表例:タモリ)。

確かに、「大声出さないで。両親が起きちゃう」と言った直後に“♪とぅなぁ~い、とぅない”と声張り上げて歌いだすカップルは(現実的には)頭のおかしい人たちでしょう。

名作という世間的評価と個人的“相性”は全く別次元のお話のようです。

08年のリメイク版があんまりな出来だったので、今一度、原点を見直し、リメイク版の駄目さ加減とオリジナルの素晴らしさを同時に再確認しようとしたのですが。

想定外の拒絶反応に自分でビックリ。

記憶というのは案外正直なもので、「用心棒」「椿三十郎」は一見しただけで、“名作”“傑作”と刷り込まれ、心の襞の奥深くに定着しましたが、何故か本作の記憶は彼岸の彼方。

理由は色々あるのですが、やはり“相性が悪かった”んだと思います。

随分と回りくどい前置きをしてしまいましたが、国内のみならず世界的にも絶賛以外の評価を聞いた事がない作品を「いやあ、俺、駄目だったわ」と言い垂れるにはそれなりの“言い訳”が必要です。

隠し砦の三悪人(1958年/黒澤明監督)

まずはオープニング。千秋実藤原鎌足の漫談風かけあい。

C-3POR2-D2の原風景として有名なシーンですが、いきなりここで挫折。

録音の問題もありますが、何を言っているのか字幕無しには理解できない滑舌の悪さ。

トドメは千秋実の「あーはっはっはっは!」という字のまんまの笑い方。

どうも私は映画における「あーはっはっはっは!」という記号的な笑い方(と舞台劇のように大仰な“ボク今、演技してます!”的身振り手振り)が苦手のようです。

更に、身も蓋も無い言い草を許してもらえるならば、この二人、個性的ではありますが、活劇のメインを張るには役者として華がなさすぎ(←あくまで個人的意見)。

百姓という設定と、後に登場する真壁六郎太(三船敏郎)との対比の都合上致し方ないのですが、この二人を2時間以上観続けなければならないのか、と思うとやはり萎えます。

山名の秋月侵攻と秋月の盟友早川に関する言及が随分と後回しになっているので、最初はどこで何が起こっているのか分からない、というのもストレスに拍車。

ひょっとしたら、冒頭の二人の会話の中に説明的台詞があったのかもしれませんが、何を言っているのか全然聴き取れないので・・(マジ字幕欲しい)。

この点、リメイク版では、冒頭で三国の位置関係と侵攻の経緯および秋月の隠し金について(センスがないにも程がある表現ではありましたが)説明があって、ある意味親切。

で、一旦駄目となると、秋月の旗に描かれた三日月の窪み部分に雪姫の泣き顔がすっぽり納まる合成(秋月再興の重圧と自分の身代わりとなって死んだ真壁の妹への想いが交錯する雪姫の繊細さを表す重要シーン)もお笑いに見えてしまい手がつけられません。

※これ以上続けると殺されそうなので止めておきますが、あくまで個人的な相性のお話です。本作の世界的評価に楯突く気など毛頭ございませんので、本作及び黒澤映画ファンの皆様、何卒ご容赦を。

※実はこの後、タルコフスキーの「ノスタルジア」に挑み、二日連続で爆睡・玉砕。巨匠との相性の悪さをダメ押し証明してしまいました(ソラリスとストーカーと鏡は大好きなんだけどなぁ・・)。「いや、そもそも映画的感性が枯渇しているんだろう」というご指摘は的を射ているかもしれないので敢えて聞く耳持ちません。

★ご参考