復讐の連鎖は何も生みはしない・・などという牧師の安説教並みの教訓しか本作から読み取れない人間が多いのは何故でしょう。
復讐者は己の行く末を知ったら復讐を止めるのか? そんな事で止められる衝動なら初めから何もしないでしょう。
連鎖を云々するのであれば、そのトリガーとなる最初の一撃を見舞ったのは誰だ?
「復讐者に憐れみを」(2002年/パク・チャヌク監督)
重い肝臓疾患を患った姉のため、進学を諦め工場労働者となった先天性聴覚障害者リュウ(シン・ハギョン)。
自らの肝臓は血液型不適合であえなくアウト。ドナーはいつ現れるか分からない。
更にリュウは姉の看病による欠勤がもとで工場を解雇。仕方なく闇の臓器売買に手をだしたら、自分の肝臓と退職金1千万ウォンを騙し取られて一文無し。
直後、ドナーが。恋人ユンミ(ペ・ドゥナ)の提案でリュウを解雇した社長の娘を誘拐、身代金を要求。
誰も傷つかず、全ては上手く行くかに見えましたが・・。
もし、工場を解雇されていなかったら。もし、ドナーが現れるのがあと数日早かったら。
もし、姉が誘拐の事実に気づかなかったら。もし、あの場に脳性麻痺の青年が現れなかったら。
ひとつ掛け違えたボタンは修復されること無く悲劇だけを堆積し、凄絶な復讐の幕を落とします。
では、復讐の最初のトリガーは何? 解雇? 臓器詐欺? 誘拐? 事故?
私はそれ以前の与件がトリガーを内包していたように思えてなりません。
もし姉が病気じゃなかったら、もしリュウの耳が聞こえていたら、もし姉が自殺する程やさしくなかったら、もし娘が泳げていたら・・。
これらは全て“神のユーモア”です。復讐と言う人間の性を原動力に神が慰む性質の悪い冗談・・それが本作のコアではないでしょうか。
ユーモアと言えば、姉弟が暮らす壁の薄いアパートで、男4人が隣の喘ぎ声に興奮して自慰に耽るシーン。実は喘ぎ声でなく、痛みに七転八倒している姉の叫び声。しかも、それを背にした聴力障害者リュウが気づかずラーメンを啜っている。笑うに笑えない監督(=神)のユーモアが秀逸でした。
残酷描写(ゴアシーン)が凄い(と言うか酷い)と評判でしたが、それほどでもありません(スプラッター見慣れた人には予定調和)。
むしろ、川面に浮かぶ娘(写真上)とか、音だけで表現される娘の司法解剖とか、ご丁寧に描写される火葬時の棺桶内部の方がよっぽど嫌でした。
間違っても他人に薦められる代物ではありませんが、韓流好きを公言して憚らないご婦人は家族揃って観るように。