『君、いくつなの?』
『12歳だよ。ずっと前から』
残酷で静謐で詩的。低予算ゆえの突っ込みどころは多々ありますが、思春期の不安定な情感を見事に掬った佳作だと思います。
「ぼくのエリ 200歳の少女」(2008年/トーマス・アルフレッドソン監督)
雪に閉ざされた曇天の街、ストックホルム。
毎日のいじめに成す術も無く、毎夜復讐の妄想に耽る少年オスカー。
ある夜、父と思しき初老の男と隣に越してきた不思議な少女、エリ。
以来、近所で頻発する謎の殺人事件。エリの正体は? 父親の役割は?
あちこちで非難轟々な邦題は許します。このタイトルのおかげでホラー喰わず嫌いの人が劇場に足を運ぶ(レンタルをする)機会が増えたのは確かだと思うので。
が、しかし! あのボカシは許せん!! 物語の本質を隠蔽してしまっているではないか。
股間をそんなに隠したいのか? 12歳という設定だからか? アグネスの差し金か?
最早、映倫に“体制から表現の自由を守る”などという大義はビタ一文存在しません。1日も早く解体してください。
昔、「小さな恋のメロディ」のラスト(ダニエルとメロディが手漕ぎトロッコで線路の彼方に消えていく)を観た時に、
“生活能力の無い子供二人がどうやって生きていくんだろう。やっぱ、メロディが身体売って、ダニエルがヒモになるしかないよなぁ”
という夢も希望もない感想を持ったものですが、今回はそんな能天気(?)なものではありません。
オスカーの行く末は、エリの父親によって暗示されています。また、オスカーとエリの関係は離婚したオスカーの父によって暗示されています。
どこまでも救いの無い悲劇の輪廻。それでも欲しい一瞬の安らぎ。一縷の望み。
エリは顔立ちがユニセックスで、所謂美少女ではないのですが、プールの惨劇の後でオスカーを見つめる血まみれのアップには菩薩を超えた美しさがありました。
ただ、エリに咬まれて吸血症に感染したおばさんが猫に襲われるシーンは、CGバレバレ・人形丸分かりなので、無いほうが良かったですね。