“私には霊視能力がある。子供の時から。今? 勿論、今もよ。いままでも。これからも。私は特別なの。一目置かれるべき人間なのよ。この力を社会に知らしめなければ…。子供を誘拐して、私が居場所を言い当てる。皆が私に注目する。完璧な計画だわ。さあ、あなた、子供をさらって来て頂戴”
気の触れた女を妻にすると亭主は苦労する…そんな教訓に満ちた作品です。
「雨の午後の降霊祭」
(1964年/ブライアン・フォーブス監督)
モノクロの画像がしっとりと濡れている曇天サスペンス(オカルト映画じゃないよ)。
計画のほころびがそのまま精神のほころびに繋がっていく妻(女霊媒師)を演じるキム・スタンレーが精神衰弱な名演技。
妻に怯え、計画に恐怖し、しかし決定的な一言を言うことができない小心な夫(リチャード・アッテンボロー)が実にいい感じ。
計画の必然性・完璧性をくどいほど謳っておきながら、都合が悪くなると平然と自分勝手に前提を覆す(しかも、自分の中では全く矛盾が生じていない)妻。
「誰も傷つかない完全犯罪」が、いつの間にか「もう子供を殺すしかない」にすり替わっていくパラノイアな精神構造が嫌々です。
元々サスペンスというジャンル(特に仲間割れや裏切りや不測の事態で計画が瓦解していく系)があまり得意ではない所に加えて、精神均衡の脆いおばさんという地雷があるので、鑑賞後は雨の午後のようなどんよりした気持ちになってしまいました。
そう言えば、近所のスーパーにダウジングしながらキャベツに話しかけているおばさんがいたなあ。彼女も霊視能力者だったのかなあ…。
余談ですが、古畑任三郎初期クール第9話の「殺人公開放送」は本作にインスパイアされたのではないでしょうか。