うーん。なんか最近、人体破壊と水芸流血があれば「COOL!」(この常軌を逸した映像を理解できる俺カコイイ!)な風潮がありますが、最低限の知性は必要なのではないかと。
大体、大した必然性も無いのに、火炎放射器で丸焼きにされる小学生とか、ノコギリ引きされたり芝刈機で手首粉砕されるヒロインとか、観ていて本当に楽しいか?
俺はかなり引いたぞ。
「ホーボー・ウィズ・ショットガン」
(2011年/ジェイソン・アイズナー監督)
街から街をさすらう老境の男、ホーボー(ルドガー・ハウアー←ホーボーは列車に無賃乗車して移動するホームレスの総称ですが、今回はルドガー・ハウアーの役名でもあります)。
ホーボーが辿り着いた街は文字通り“最低”を絵に描いた掃き溜めタウン。
警察も制圧している影の実力者ドレイク(ブライアン・ダウニー)に牛耳られ、公開処刑も思いのまま。
まあ、マカロニ・ウェスタンなら許せない事もない設定ですが、現代のアメリカだろ。コカインを扱っている事以外、ドレイクの本業もよく分かりませんし。
ここで拉致されかけた娼婦を助けた事から、トラブルに巻き込まれたホーボーがショットガン片手に街の大掃除を開始する…というのがお話の全て。
ドレイクの息子二人が親父の尻馬に乗って、住民殺戮し放題。上手に撮れば笑いに転じない事もないのですが、監督の力量(知性)が圧倒的に不足していて不愉快千万。
人体破壊にばかり気をとられて、登場人物の描きこみが全く出来ていないのも致命傷。
ホーボーを謎の男で通すのなら、ヒロインになる娼婦の過去にはさらりと触れるとか(折角、写真の入っていないフォトスタンドとかあるんだから、もっと効果的に使えよ)。
これではキャラが敵も味方も単なる記号。
トロマやタラやロドリゲスを引き合いに出して“越えた”的な事言っている人がいますが、そりゃ彼ら(特にカウフマン)に失礼ってもんです。
強いて近しい作品を上げるならSUSHI TYPHOON系でしょう。
実際、監督・西村喜廣って言われたら信じちゃいます(←誉めてません)。
ただ、ルドガー・ハウアーの存在感だけは流石。
病院の新生児たちを前にしての独白の渋さ。棺桶の僅かな隙間から覗く目だけで相手を挑発する威圧感。
おっと、もうひとつ。ドレイクが助っ人に呼び寄せた鋼鉄の殺し屋コンビ(写真下)はなかなかのキャラでした。
特に首吊りロープ付銛銃(ロープを相手の首に引っ掛けて、天井に銛で縫い付けるインスタント首吊りマシーン)は座布団一枚!なアイデア賞。
一部のキャラは十分立っているので、往年のピーター・フォンダやジャン・マイケル・ビンセントのその後みたいなノリで(ロドリゲスあたりが)作れば(良い意味で)かなり違った印象になったでしょう。
70年代丸被りなオープニング曲と、80年代ど真ん中なエンディング・ソングはちょっと笑えました。