古典的名作に監督名、それもジャンル映画の監督名が枕詞として付くとどうなるか。
“サム・ペキンパーの忠臣蔵”、“アレハンドロ・ホドロフスキーの羅生門”、“ジョン・カーペンターのキリスト物語”etc.
あさっての方向に期待値(とハードル)が跳ね上がりますね。
ホラーの巨匠とブラム・ストーカー、相性は抜群のはずでしたが…。
「ダリオ・アルジェントのドラキュラ」
(2012年/ダリオ・アルジェント監督)
いやもう勝手に原色の世界をサスペリアのテーマに乗って疾駆する闇の貴公子、なイメージを膨らませてしまいましたが、出てきたのはいたってオーソドックスな吸血鬼譚でした。
良く言えば正攻法。ただ、アルジェントが撮る必然性があったのかと言うと「うーむ」。
個性らしきところもあります。ドラキュラの格闘シーンが結構アクティヴとか。
蝙蝠ではありきたりと思ったのか、変身のバリエーションも豊富。
蝿はアルジェントっぽいし、狼も分かります。100歩譲って梟までは許しましょう。ただアレはないだろ。ありゃ完全に別映画だ。アルジェントらしい無意味さと言えなくもないですが…。
私が本作でいちばん気になったのは明るさ。
照明器具は蝋燭だけのはずですが、これが明るい。1本で2,000ルーメンはあるんじゃないかという明るさ。
美術セットや小道具を余す事無く映したい、という気持ちは分からなくもないですが、「バリー・リンドン」を経験した後でこの明るさはあまりに不自然。
金掛けたテレビドラマって感じがしちゃいます。
ドラキュラにしろヴァン・ヘルシング(ルドガー・ハウアー)にしろ、人物の背景がまるで描かれていないのもちと辛い。
記号的役割分担ではドラマに入り込むことができません。前半でさんざっぱらな特殊能力を見せておきながら、クライマックスには何も無しってのもウルトラ腰砕け。
ドラキュラ映画としてもアルジェント映画にしても、いささか残念な結果になってしまいました。
アルジェントには死ぬ前にもう一花咲かせて欲しいなあ…。