163分。長くない。断じて。
TVシリーズのエピソードひとつひとつに、そしてキャラクターひとりひとりにアガペーの如き愛情を注がなければ生まれ得ないひとつの奇跡。
「涼宮ハルヒの消失」(2009年/石原立也総監督)
SOS団が部室でのパーティを企画しているクリスマス直前。キョンを取り巻く社会が一変。
昨日まで元気だった谷口が風邪。聞けば今週の初めから調子が悪かったと言う。話が微妙に噛み合わない。
クラス内にも風邪が蔓延。後の席のハルヒも欠席…いや、欠席ではない。その席にハルヒはいなかった。
代わりに現われたのはキョンを暗殺しようとして長門有希に倒され、データ消失したはずの朝倉涼子。何故お前がここにいる…!?
誰もハルヒを知らない。クラス名簿にも載っていない。朝比奈さんも鶴屋さんもキョンを知らない。古泉に至ってはクラスごと漂流教室。
何がどうなっているんだ。
最後の砦、SOS団の部室にいたのは文芸部員、長門。しかし、彼女もキョンを(5組の生徒だということ以外)知らない。ただの気の弱い、文学少女。
これは誰が望んだ世界だ。この世界に涼宮ハルヒはいないのか。俺は狂っちまったのか。
これまでにない暗く重い展開に胸が締め付けられます。主人公が状況を把握できない、という設定は「ヱヴァQ(短縮するとオバQみたいだな)」と一緒ですが、不快感が残らないのは作り手のキャラに対する愛情の所以だと思います。
ハルヒが持ち込んだ備品の無い殺風景な文芸部室。本棚に並ぶ見慣れない本の中に見知った本が1冊だけあった。それはかつて長門がメッセージを挟んでキョンに渡したもの。
あった。俺の知っている長門からのメッセージ。まだ世界は繋がっている。
そして意外な人物の口から飛び出した涼宮ハルヒという言葉。いるのか?! この世界にも涼宮ハルヒはいるのか!?
暗黒の世界で少しずつ光明が。
今回の主役は長門有希です。ただひたすら涼宮ハルヒを観察し、暴走した朝倉からキョンを守り、人知れず世界を修復し、1万5千回以上の夏休みを(全ての記憶と共に)経験した情報統合思念体ヒューマノイド・インターフェイス、長門有希です。
直接触れられる事はなくとも、TVエピのひとつひとつが素晴らしいスパイスとなっています。
とりわけ、閉鎖空間に取り込まれたキョンと交わした通信で尻切れになってしまった長門のメッセージ、「また図書館で」が効いています。
ハルヒよりもミクルよりも長門萌え(多いだろ、長門萌え)の自分にとってはクリスマス・プレゼントのような作品でした。
余談ですが、
「誰に祈ればいいんだ? 何を信じればいい? キリストか、釈迦か? マホメットか? ゾロアスターか? ラヴクラフトか?」
は、ちょっとツボな台詞でした(笑)。