ううむ。てっきりトマトをタイヤに置き換えた天然馬鹿映画“アタック・オブ・ザ・キラー・タイヤ”だとばかり思っていたのに。
よもや、“存在とは何か”という命題にまで踏み込んだメタ映画だったとは。
恐るべしフランス映画(だから駄目なんだよフランス映画、とも言えますが)。
「ラバー」(2010年/カンタン・デュビュー監督)
LOVERではありません。RUBBER。ゴム(この場合、ゴムタイヤ)です。
荒野を彷徨う1輪の黒タイヤ(ゴムの部分だけでシャフトもホイールもありません)。
ペットボトルやサソリは軽快に踏み潰して行きますが、ガラス瓶など体重掛けても割れないものは何と念力で粉砕(スキャナーズ!)。
鳥がバーン! 兎がドーン! そして人間がドカーン!(擬音並べると馬鹿っぽい文章になっていいなあ)
その様子を双眼鏡で見つめる謎の“観客軍団”。
第三者に“見られる(観測される)”事で、存在の意味を確認する登場人物たち。
タイヤが人間を追い詰めていくサスペンスとか、大量のタイヤが道路を埋め尽くして襲ってくるスペクタクルとか、町の人間が団結してトラップを張ってタイヤを迎え撃つアクションといった映画的要素はビタ一文ありません。
ただひたすらシュールな実験映画です。
「意味などない」と冒頭でしつこいくらい強調し(「そのつもりで観ろよ」と念押しし)ているので文句を言う筋合いではないのですが、あまりに予想と違うのでエライ事面喰らいました。
同じシュールでももう少し馬鹿寄りな方が良かったかな。私には。